以心崇伝
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以心 崇伝(いしん すうでん、永禄12年〈1569年〉- 寛永10年1月20日〈1633年2月28日〉)は、安土桃山時代から江戸時代の臨済宗の僧。字は以心、法名が崇伝で、南禅寺金地院に住したため、金地院崇伝(こんちいん すうでん)とも呼ばれる。本光国師の称は、寛永3年(1626年)に後水尾天皇の師となり授けられたもの。俗姓は一色氏。徳川家康のもとで江戸幕府の法律の立案・外交・宗教統制を一手に引き受け、江戸時代の礎を作ったとされる[1]。その権勢から「黒衣の宰相」の異名を取った。
- ^ “【戦国こぼれ話】現在は学者受難の時代?戦国時代は重要だった知識人たち!(渡邊大門)”. Yahoo!ニュース (2020年10月5日). 2020年12月22日閲覧。
- ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、107頁。
- ^ a b c 泉 2003, p. 489.
- ^ 山下昌也『家康の家臣団』〈学研M文庫〉2011年、248頁。
- ^ 川口素生『戦国名軍師列伝』〈PHP文庫〉2006年、285頁。
- ^ 笠谷 2007, pp. 204–215.
- ^ 渡邊 2012, pp. 68–82.
- ^ 林晃弘「家康と金地院崇伝 最大の政策ブレーンとして、多方面に才能を発揮した黒衣の宰相」『歴史読本』第59巻第12号、2014年。
- ^ 藤井讓治「戦国乱世から太平の世へ」(岩波新書)157、160頁
- ^ a b 泉 2003, p. 490.
- ^ この「悪」は善悪の悪ではなく、「強い」「猛々しい」というほどの意味合いを持つ。
- ^ 大猷院御実紀 巻一六 寛永七年九月
- ^ 桜井景雄『続南禅寺史』大本山南禅寺、1954年、83頁。
- ^ 大猷院御実紀 巻二十二 寛永十年正月
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