代議士引退へ
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2012年9月26日の自由民主党総裁選挙終了後に地元選挙区の後援会会合に出席、その後に「次期衆議院議員総選挙に出馬せず、今期限りで議員を引退する」意思を表明した。同年11月16日の衆議院解散にともない、衆議院議員を退任した。退任に際して、衆議院を解散した内閣総理大臣野田佳彦について「解散しなければいけないと分かりながら、引き延ばした。その間政治が停滞した。行政も予算編成も止まり、特に経済は相当な影響を受けた」 と厳しく批判するとともに「政権交代が結果的に失敗だったことが、明白になった」 と総括した。また、自身の政治活動を振り返り「『正しい政治をしたい』、そういう気持ちだけでやってきた。日本全体と多くの人に良い結果をもたらすような精神を貫いていきたい」 と語った。 同年11月に自由民主党群馬県第四区支部の党員大会が開催され、後任として長男の福田達夫の支部長就任が承認された。 ネルソン・マンデラの死去に際し、2013年12月9日に「故ネルソン・ロリシュラシュラ・マンデラ元南アフリカ共和国大統領の追悼式に参列する特派大使」 に任命された。それに伴い南アフリカ共和国に渡航し、皇太子徳仁親王らとともにマンデラの追悼式に出席した。なお、同月24日まで特派大使を務めた。 2014年7月27日、北京を訪問し習近平主席と極秘の会談を行ったことが明らかにされた。 2015年1月25日、サウジアラビアの6代目アブドラ国王が死去したことにより、皇太子とともに特派大使として弔問に派遣される。 2018年4月、ボアオ・アジア・フォーラムの年次総会にて、理事長を元国際連合事務総長の潘基文に交代し、諮問委員会主席に就任した。
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