井波彫刻
井波彫刻 |
いなみちょうこく |
木工品 |
欄間、天神様・獅子頭等の置物、衝立、パネル |
極めて高い技術を持っていた井波の大工が、18世紀の中頃に焼失した寺の本堂を建て直した時、京都から派遣された御用彫刻師に彫刻の技術を伝えられたのが始まりとされています。 初期の頃は大工と彫刻を兼業し、寺院彫刻が仕事の大半を占めていました。明治時代になると彫刻を専業とするようになり、住宅欄間等の一般向けの製品が考え出されました。 |
富山県 |
昭和50年5月10日 |
クスノキ・ケヤキ・キリの木を材料として、風景、花鳥、人物等を題材に、両面から「透かし深彫り」を施します。200本以上のノミや彫刻刀を駆使する高度な技術を持つ伝統的な木彫刻です。 |
井波彫刻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 15:41 UTC 版)
井波彫刻(いなみちょうこく)は富山県南砺市井波地区(旧:井波町)を中心に生産される木彫工芸品。
- ^ 『井波の木彫刻 日本遺産 「北前船」で富山・高岡追加』北日本新聞 2018年5月25日1面
- ^ a b 『入校生減り 休校へ 本年度末 井波木彫刻工芸高等職業訓練校 職人個別指導に転換』北日本新聞 2022年5月26日29面
- ^ 『新湊の曳山』(新湊市教育委員会)1981年(昭和56年)10月発行 84P、87P、101P、108P、111P
- ^ 『城端曳山史』(城端町曳山史編纂委員会 編・城端町)1978年(昭和53年)5月15日発行 425P、429P、452P
- ^ 『越中八尾 曳山ガイドブック』(有限責任中間法人 越中八尾観光協会・八尾町曳山保存会)2008年(平成20年)8月発行 10P、11P、23P
- ^ 『新湊の曳山』(新湊市教育委員会)1981年(昭和56年)10月発行 113P、115P
- ^ 『伏木曳山祭再見』(正和勝之助 著・伏木文化会)1998年(平成10年)5月1日発行 54P・55P間の一覧表、165P
- ^ 『富山県の曳山(富山県内曳山調査報告書)』(富山県教育委員会)1976年(昭和51年)3月発行 28P
- ^ 『富山県の曳山(富山県内曳山調査報告書)』(富山県教育委員会)1976年(昭和51年)3月発行 2P
- ^ 『井波彫刻 受注相次ぐ 祭り屋台やだんじり 技術力 SNSで評判』北日本新聞 2018年6月29日22面
- ^ 『復元の名古屋城本丸御殿 将軍御座所に井波彫刻欄間 7年かけ忠実再現』北日本新聞 2018年6月6日26面
- ^ 『復元の本丸御殿公開 名古屋城 欄間に井波彫刻』北日本新聞 2018年6月9日6面
- ^ 『井波の技 後継育成へ 彫刻塾スタート 18人受講』北日本新聞 2023年5月14日18面
- ^ サントリー地域文化賞 地域別受賞者一覧サントリー文化財団
- ^ 地球市民賞国際交流基金(ジャパンファウンデーション)
- ^ 『巨大七福神そろう いなみ木彫りの里 高さ5メートル 寿老人"復活"』北日本新聞 2017年10月17日23面
- ^ 『井波仏師の技 全国に笑い「ダウンタウン浜田さんらの像原型制作」年越しTV番組で使用』北日本新聞 2016年1月13日28面
- ^ 井波仏師の技で全国に笑い ダウンタウン浜田さんらの像の原型制作
- ^ “井波木彫師〜富山県井波町〜”. NHK (1972年12月18日). 2021年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月29日閲覧。
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