九州国分
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九州国分(きゅうしゅうくにわけ)は、豊臣秀吉による九州攻め(九州平定)ののちの天正15年(1587年)6月、豊臣政権によって行なわれた九州地方の大名の領土配分のことである。
注釈
出典
- ^ 田辺龍弥「豊臣期における九州国分 : 薩摩島津氏を事例に」(『ゆけむり史学』 創刊号、2007年)p.30
- ^ 尾下成敏「九州停戦命令をめぐる政治過程--豊臣「惣無事令」の再検討」(『史林』93巻1号、2010年)
- ^ このことについて、池上裕子は「島津は自力で九州のほとんどを平定し、その実績を秀吉に認めさせようと考えた」ためとしている。池上(2002)p.155
- ^ a b 乱世の終焉・九州平定 (福岡市博物館)
- ^ a b c 池上(2002)p.155
- ^ 『クロニック戦国全史』(1995)p.500
- ^ 博多に対して秀吉は、座の廃止、地子・諸役・徳政の免除、全国の湊への自由通行などを認める法令を発している。池(2003)p.64
- ^ a b 池(2003)p.63-64
- ^ 大山智美「中近世移行期の国衆一揆と領主検地-肥後国衆一揆を素材として」『九州史学』164号、2012年/所収:萩原大輔 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第十一巻 佐々成政』戎光祥出版、2023年。2023年、P274-276・279-283.
- ^ 『クロニック戦国全史』(1995)p.503
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