世界GP125ccクラス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:22 UTC 版)
「トーマス・ルティ」の記事における「世界GP125ccクラス」の解説
ロードレース世界選手権125ccクラスには2002年の第9戦ドイツGPに、負傷したヤコブ・シュムルツの代役としてダニエル・エップが運営するエリー・グランプリ・チームからデビューし、26位で完走した。このレース以降レギュラーシートを獲得し、シーズンの残りをホンダのマシンを駆って戦った。 フル参戦初年度となった翌2003年、ルティは引き続きエリー・チームに残留した。またエップはルティのマネージャーにも就くことになった。第6戦カタルーニャGPで初表彰台となる2位を獲得する等の活躍を見せ、シリーズランキング15位に入った。 2004年はスランプに陥る。開幕から4戦連続リタイヤ、続いて怪我により3戦欠場と苦しみ、年間わずか14ポイントの獲得、シリーズ25位に沈んだ。 翌2005年シーズン、ルティはカリフォルニア・スーパーバイク・スクールのアンディ・イボットのトレーニングを受けることになった。第3戦フランスGPで自身初優勝を果たし、その後もチームの地元チェコGPなどで3勝を重ねる。そして最終戦バレンシアGP、ホンダ・RS125Rを駆るルティは、ライバルでKTMのワークス・マシンを駆るミカ・カリオを5ポイント差で振り切り、ワールドチャンピオンとなった(スイス人としてはルイジ・タベリが最後に125ccクラスのチャンピオンを獲得した1966年以来、39年ぶり)。この功績により、ルティはこの年の「スイス・スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」等の賞を授けられた。 チャンピオン獲得により、翌2006年は250ccクラスへのステップアップが噂されたが、結局125ccクラスに残ることになった。ドイツのサンドロ・コルテセをチームメイトに迎え、チームもスポンサーが変更となり「エリー・カフェラテ」としてシーズンを戦ったが、年間わずか1勝、途中怪我にも悩まされ、タイトルはアルバロ・バウティスタに奪われた。
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