世界王座陥落〜現役引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:47 UTC 版)
2008年11月に開催されたWBC総会で、1位のパノムルンレック・クラティンデーンジム以外に、同年5月に行われた挑戦者決定戦に勝利した2位フリオ・セサール・ミランダにも指名挑戦権を認めるとされていたが、ミランダの指名挑戦権は2009年4月に前王者であるポンサクレックと暫定王座決定戦で対戦することが決まった時点で失効し、この決定戦ではポンサクレックが暫定王座を獲得した。 WBCよりポンサクレックとの王座統一戦を行うことが義務付けられていたが、前述の熊戦の負傷の影響で延期が認められたことから、ポンサクレックは8月28日に母国で升田貴久(三迫)を相手に初防衛戦を行い、6回TKO勝ちで防衛成功した。内藤も統一戦の前に防衛戦を1試合行うことを認められ、11月29日、兼ねてより因縁深かった元WBA世界ライトフライ級王者・亀田興毅と対戦。試合は2Rに興毅の左ストレートが内藤の鼻を捉え、このパンチ以降鼻からの断続的な出血を強いられ、アウトボクシングをする興毅を内藤が追い続ける展開となったが、興毅を捉えきれず0-3の判定で敗れて王座から陥落した。 家族からは引退を勧める声もあり、進退に注目が集まっていたが、亀田興毅戦からちょうど2か月後の2010年1月29日に宮田ジムで記者会見を行い、「打倒亀田」を掲げ現役続行を表明した。 5月9日に後楽園ホールで「再起戦」として、リエンペット・ソー・ウィラポン(タイ)とノンタイトル10回戦を行い、5RKO勝ちした。以降1年以上試合を行わず、世界王者であるため、JBCの規定でライセンスが失効する37歳を過ぎても再交付の申請は可能だったが、手続きを行っていないことが明らかとなりライセンスを失った状態であった。 2011年11月12日放送の『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)にて現役引退を表明し、後日正式に引退会見を開いた。 12月31日に大阪府立体育会館で行われた井岡一翔のタイトルマッチの前座で引退セレモニーが行われ、2012年1月12日には、かつての勤務先でありスポンサーの長谷工コーポレーション主催による引退パーティーが開かれ、エキシビションを披露した。
※この「世界王座陥落〜現役引退」の解説は、「内藤大助」の解説の一部です。
「世界王座陥落〜現役引退」を含む「内藤大助」の記事については、「内藤大助」の概要を参照ください。
- 世界王座陥落〜現役引退のページへのリンク