与無相居士尺牘とは? わかりやすく解説

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与無相居士尺牘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:29 UTC 版)

禅林墨跡」の記事における「与無相居士尺牘」の解説

『与無相居士尺牘』(むそうこじにあたう せきとく)は、紹興25年1155年)頃、大慧が友人無相居士にあてた尺牘当時南宋は金の侵略恐れて金と和議結んだが、大慧は主戦論者を支持したとされて流謫の身となった。この書簡はその流謫の地・梅州から送ったもので、自らの安否伝え居士動静知りたい述べている。書風米芾蘇軾影響見られ書簡であるから自ずと率意の書である。紙本、38.1cm×65.7cm。東京国立博物館国宝指定名称は大慧宗杲墨蹟尺牘 十月二日))。

※この「与無相居士尺牘」の解説は、「禅林墨跡」の解説の一部です。
「与無相居士尺牘」を含む「禅林墨跡」の記事については、「禅林墨跡」の概要を参照ください。

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