下野富田藩とは? わかりやすく解説

下野富田藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 05:52 UTC 版)

下野富田藩(しもつけとみたはん)は、江戸時代前期の短期間、下野国都賀郡富田(現在の栃木県栃木市大平町富田付近)を居所とした[1]。1613年に北条氏重が1万石で入封したが、1619年に転出したために廃藩となった。


注釈

  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  2. ^ 下記のサイト[4][5][6][7]などで掲示板の写真や、それをもとにした説明が見られる。
  3. ^ 本多忠純は慶長10年(1605年)に榎本藩1万石の藩主となり、元和元年(1615年)に皆川周辺で1万8000石の加増を受けた。加増以後を「皆川藩」とすることがある(皆川藩参照)。なお、榎本藩と富田藩は居所が近接した藩で、榎本城は富田城の南東3kmほどに所在する。
  4. ^ 元和4年(1618年)時点で横須賀藩は存在しない。元和元年(1615年)に横須賀藩主大須賀忠次館林藩主となって領地が収公されたためで、元和5年(1619年)に能見松平重勝が入封する(横須賀藩参照)。なお、久野城(静岡県袋井市)と横須賀城(静岡県掛川市)は10kmほど離れている。

出典

  1. ^ a b c 富田藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年8月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『寛政重修諸家譜』巻第五百六「北条」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.695
  3. ^ 富田郷(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年8月27日閲覧。
  4. ^ 下野 富田城”. 城郭放浪記. 2023年8月27日閲覧。
  5. ^ 下野 富田城”. お城の旅日記. 2023年8月27日閲覧。
  6. ^ 下野 富田城”. 古城盛衰記. 2023年8月27日閲覧。
  7. ^ 富田城(下野国・栃木県栃木市)”. おしろまなぶの御城を学ぼう. 2023年8月27日閲覧。
  8. ^ 富田城”. 栃木の城+. 2023年8月27日閲覧。
  9. ^ 富田城”. 古城巡り 写真館改. 2023年8月27日閲覧。
  10. ^ a b c 富田村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年8月27日閲覧。


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