小久保藩とは? わかりやすく解説

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小久保藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 16:24 UTC 版)

小久保藩(こくぼはん)は、明治維新期の短期間、上総国天羽郡小久保村(現在の千葉県富津市小久保)に藩庁を置いた1868年遠江相良藩田沼家が移封され、1871年廃藩置県まで存続した。石高は1万石余[1]


注釈

  1. ^ 幕府領や旗本領が多く、新政府直轄領として上総安房知県事による接収が進められていた[2][3]
  2. ^ 『房総における近世陣屋』では、意尊が明治元年(1868年)中に没したと誤って認識しており、明治2年(1869年)に陣屋建設を着手した藩知事を意斉としている[5]
  3. ^ 『千葉県君津郡誌』によれば、意斉が養子となったのは明治2年(1869年)12月である[6]
  4. ^ 『日本教育史資料』では明治2年(1869年)創立とあり[10]、『房総における近世陣屋』も明治2年創設を採っている[5]
  5. ^ 『日本教育史資料』では英語教育についての記載はない[10]。創設当時(上述の通り『日本教育史資料』では明治2年創立とする)の藩主(あるいは知藩事)田沼意尊が儒学を尊崇したためにその方面を拡充したとしており、教科書は漢学・国学のものが挙げられている[10]
  6. ^ 当地に祀られた弁天社に因み、「弁天」という小字名がある[5]。『千葉県君津郡誌』によれば「粟畑毛」という小字であったという[14]

出典

  1. ^ a b 川名登. “小久保藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2021年9月21日閲覧。
  2. ^ a b 『千葉県君津郡誌 上巻』, pp. 819–820.
  3. ^ a b 『千葉県君津郡誌 下巻』, p. 1221.
  4. ^ 『千葉県君津郡誌 上巻』, p. 820.
  5. ^ a b c d e f g 『房総における近世陣屋』, p. 76.
  6. ^ a b c d e f 『千葉県君津郡誌 下巻』, p. 415.
  7. ^ 田沼意尊”. 朝日日本歴史人物事典. 2021年9月21日閲覧。
  8. ^ 田沼意斉”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2021年9月21日閲覧。
  9. ^ a b c d 富津市歴史年表”. 富津市の歴史(年表). 富津市生涯学習課. 2022年10月19日閲覧。
  10. ^ a b c d 『日本教育史資料 壱』, p. 343.
  11. ^ 市宝探訪79 小久保陣屋”. 富津市 (2012年12月). 2021年9月21日閲覧。p.7
  12. ^ 『千葉県君津郡誌 下巻』, p. 204.
  13. ^ 小久保村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年10月19日閲覧。
  14. ^ 『千葉県君津郡誌 下巻』, p. 551.
  15. ^ 相良藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年10月19日閲覧。
  16. ^ 中島義一 1965, p. 18.


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