上泉秀綱とは?

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かみいずみひでつな かみいづみ- 【上泉秀綱】 ○

?~1577?室町末期剣客軍法家。新陰流の祖。通称伊勢守。のちに武蔵守信綱。上野の人。諸国巡り柳生宗厳(むねよし)塚原卜伝教え剣聖といわれた。姓は「こういずみ」とも。

上泉信綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/01/04 15:11 UTC 版)

(上泉秀綱 から転送)

上泉 信綱(かみいずみ のぶつな、永正5年(1508年)? - 天正5年1月16日1577年2月3日)?)または上泉伊勢守は、上州出身の戦国時代兵法家。生年は推測、没年は天正10年(1582年)など諸説あり。


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  1. ^ 『箕輪軍記』『箕輪記』にみえるのは「上泉伊勢守」で諱は記述されない。『上州治乱記』では上泉伊勢守「豊成」とする。
  2. ^ a b c d e f g h 今村嘉雄『定本大和柳生一族』
  3. ^ 「肥後菊池蒲池文書」(『新修高崎市史』資料編4 No.358に収録)
  4. ^ a b 前橋市史編さん委員会編 『前橋市史』第1巻、前橋市、1971年。
  5. ^ 「影目録(新影流目録)」(『正伝新陰流』所収。『定本柳生一族』70頁に引用)
  6. ^ a b c d 諸田政治 『上毛剣術史 中-剣聖上泉信綱詳伝』煥乎堂、1984年。
  7. ^ 直系たる米沢藩士系のかみいずみ家と上泉孫四郎正系の尾張のこういずみ家が残っている。かみいずみ家からは上泉徳弥が出ている。
  8. ^ a b c 加来耕三「上泉伊勢守信綱」『別冊歴史読本 柳生一族』新人物往来社、2003年。
  9. ^ a b c d e f g h i j 綿谷雪・山田忠史編 『増補大改訂 武芸流派大事典』東京コピイ出版部、高山本店 (発売)、1978年
  10. ^ a b c d e f g h i 柳生厳延「兵法由来覚」(『前橋市史』第1巻収録部分)
  11. ^ 上泉城本丸跡地の上泉城案内板に記載
  12. ^ a b c 上泉家伝来の系譜(天明6年6月の書)に記載(『前橋市史』第2巻、『大胡町誌』・『桂萱村誌』に収録)
  13. ^ 下川は、小七郎を師とする伝書を上泉の祖の自署とみなしてこの説を有力視した。
  14. ^ 大森宣昌 『武術伝書の研究』地人館、1991年。
  15. ^ 赤羽根龍夫論文 疋田伝の研究。
  16. ^ 疋田新陰流組絵図, 1巻, 疋田景兼より黒田長政宛, 福岡市博物館。
  17. ^ 柳生厳長は、小七郎を師とする伝書は疋田新陰流の末流の伝書であり信憑性がないと主張した。
  18. ^ 『上毛剣術史 中 剣聖上泉信綱詳伝』所収の飯篠快貞談話に拠る
  19. ^ a b 山田および石垣の代数は男谷信友を直心影流13代目とする直心影流男谷派のもの。ただし山田の後継が石垣ではない。15代山田次朗吉の系統では教えは残るが、山田が伝書を焼き捨てたため彼で宗家は途絶えたとみなしている。一方、18代石垣安造は彼の曽祖父・野見錠次郎を15代とみなす系統で、安造の祖父・野見浜雄(16代)、父・石垣辰雄(17代)と続いている。
  20. ^ 山田次朗吉 『日本剣道史』東京商科大学剣道部、1904年。
  21. ^ このとき、強盗が幼児を拉致しての屋籠もりに遭遇した信綱は、近くの僧侶に袈裟を借り、頭を剃って出家を装った。信綱は興奮している屋籠もりに近づき、握り飯を差し出してなだめつつ、屋籠もりが握り飯に気を取られた隙に取り押さえ、幼児を無事救出したと伝わる。黒澤明時代劇映画『七人の侍』中では、この逸話を元にしたシーンがある。
  22. ^ 永禄6年(1563年)または永禄7年(1564年)1月の国府台合戦で北条軍に参戦していた嫡子秀胤が国府台 (市川市)で重傷を負い1月23日に死去。
  23. ^ 掘正平による
  24. ^ 上泉自治会の寄付による建立。除幕には、米沢上泉家から上泉一治、尾張柳生家から尾張柳生22世柳生耕一厳信が出席。記念式典には前橋市長・高木政夫、米沢市長・安部三十郎、群馬県副知事・茂原璋男なども出席した。
  25. ^ 広報まえばし(平成20年5月1日号)
  26. ^ 逗子市の上泉正永所蔵の上泉氏系譜抄(天明6年6月書写)は『前橋市史』(第2巻、1973年)に収録され、のち『大胡町誌』(1976年)と『桂萱村誌』(2006年)も引用している。
  27. ^ 諸田は香取神道流の飯篠家の伝承も参考にしている。1520年(永正17年)に父祖の添書を持って、飯篠家直の弟子であった「鹿島の鬼」(上泉家伝承)こと、鹿島神流の松本備前守に入門し、1524年大永4年)頃、松本備前守より鹿島神流の奥源を受けたと主張する。また諸田は当時の鹿島を「綜合武術大学」のような場所だとみなす。
  28. ^ 1531年(享禄4年2月)のこととみる。なお諸田は『正伝新陰流』にある信綱生年を採用して年齢を計算し、小七郎は信綱よりも十歳の年下であり年齢が合わず師とし難いと主張した。
  29. ^ 赤羽根大介校訂・赤羽根龍夫解説 『新陰流軍学『訓閲集』:上泉信綱伝上泉信綱伝新陰流軍学『訓閲集』』スキージャーナル、2008年。


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