三重県全域への拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 15:13 UTC 版)
早馬瀬村の河原に集まった農民集団は、多くが北上し三重県の出張所があった飯高郡松阪(現在の松阪市街)へ向かったが、一部は南下し三重県の支庁のあった度会郡山田(現在の伊勢市街)へ向かった。 北勢と南勢では一揆の展開に違いが見られる。北勢では地租改正が進行し、明確に地租改正そのもの、および新政を否定する一揆として展開された。南下した一揆隊の要求は北上した一揆隊とは違い、貢納石代値段の引き下げが主であった。南勢では地租改正の実施が北勢に比べ遅れており、近世までの惣百姓一揆のような形をとっていた。
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