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三種の神器

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/18 11:00 UTC 版)

(三種神器 から転送)

三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ))とは、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたというを指し、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物である。

三種の宝物とは、八咫鏡八尺瓊勾玉天叢雲剣(「草薙剣」)のこと。

目次

宝物

天皇践祚に際し、この神器の内、鏡と剣の形代および勾玉を所持することが皇室の正統たる帝として皇位継承の際に代々伝えられている。但し過去には後鳥羽天皇など神器がない状態で即位した場合もあり、必ずしも即位の絶対条件ではなかった場合もある。

現在では八咫鏡伊勢の神宮皇大神宮に、天叢雲剣熱田神宮神体として奉斎され、八尺瓊勾玉皇居御所に安置されているとされている。

また皇居には、八咫鏡天叢雲剣形代があり、八咫鏡の形代は宮中三殿賢所に、天叢雲剣の形代は八尺瓊勾玉とともに御所剣璽の間に安置されているとされる。

伝承

古事記では天照大御神天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙(くさなぎの)剣」を神代として授けたと記されており、日本書紀には三種の神宝(神器)を授けた記事は無く、第一の一書に「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記している。

古代において、「鏡」、「玉」、「剣」の三種の組み合わせは皇室だけに特有のものではなく、一般に支配者の象徴であったと考えられ、仲哀天皇熊襲征伐の途次、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手らは、それぞれ白銅鏡、八尺瓊、十握剣を献上して恭順の意を表している。また景行天皇に服属した周防国娑麼の神夏磯媛も、八握剣、八咫鏡、八尺瓊を差し出している。また壱岐市原の辻遺跡では最古の鏡、玉、剣の組み合わせが出土されている。

儒学伝来以後、「」は「知」、「勾玉」は「仁」、「」は「勇」というように、三種の神器は三徳を表すという解釈もある。

各神器

三種の神器(イメージ)

八咫鏡(やたのかがみ)

記紀神話では、天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出した。そして再び世は明るくなった。のちに鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

八坂瓊曲玉とも書く。大きな玉で作った勾玉であり、一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともにの木に掛けられた。

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

草薙剣(くさなぎのつるぎ)の旧名で、古事記では草那芸之大刀と記され記紀神話では須佐之男命が出雲・簸川上(ひのかわかみ、現島根県安来地方の中国山地側、奥出雲町)で倒したヤマタノオロチの尾から出てきた剣。なお、草薙剣と呼ばれるようになったのは、ヤマトタケルノミコトが譲り受け、移動中、周りを火で囲まれたとき、姫を守るため自らの周りの草を薙ぎ、火打石で草を焼いたためである。なお焼津も草を焼いたためである。

記録

古事記には天皇践祚に際して神宝(神器)またはそれに類する品の宝剣に関する記事はなく、日本書紀には以下のように記述されている。

  • 允恭天皇元年十二月の条、「是に、群臣、大きに喜びて、即日に、天皇の璽付(みしるし)を捧げて、再拝みてうえる」。
  • 清寧天皇前記十二月の条、「大伴室屋大連、臣・連等を率て、璽(しるし)を皇太子に奉る」。
  • 顕宗天皇前記十二月野上、「百官、大きに会へり。皇太子億計(おけ)、天子の璽(みしるし)を取りて、天皇の坐に置きたまふ」。
  • 継体天皇元年二月の条、「大伴金村大連、乃ち跪きて天子の鏡(みかがみ)剣(みはかし)の璽符(みしるし)を上りてまつる」。
  • 宣化天皇前記十二月の条、「群臣、奏して、剣(みはかし)鏡(みかがみ)を武小広国押す盾尊に上りて、即天皇之位さしむ」。
  • 推古天皇前記十一月の条、「百寮、表を上りて勧進る。三に至りて乃ち従ひたまふ。因りて天皇の璽印(みしるし)を奉る」。
  • 舒明天皇元年正月の条、「大臣及び郡卿、共に天皇の璽印(みしるし)を以て、田村皇子に奉る」。

次は、即位儀礼の時ではないが、関連記事がみえる。

  • 孝徳天皇前記六月、「天豊財重日足姫天皇、璽綬(みしるし)を授けたまひて、位を禅りたまふ」。

封建の品を璽・璽符・璽印という漠然とし書き方をしており、鏡と剣との名をあげているのは、継体紀と宣化紀の2つのみである。宝物は元は2つであったのではないかという疑問が出てくる。

668年に新羅の僧によって草薙剣が盗難される草薙剣盗難事件が起こる。

690年持統天皇の即位の際に臣下の忌部氏が剣と鏡の二種を献上している。『日本書紀』持統天皇4年(690年)正月の条に、「物部麿朝臣大盾を樹て、神祇伯(じんぎのかみ)中臣大嶋朝臣天神の寿詞(よごと)を読み、畢(おわ)りて忌部宿禰色夫知神璽の剣鏡を皇后に奉上り、皇后天皇の位に即く」とある。後に中臣氏が三種説を主張して勾玉が加わった。

尚、以下の説は神器が宮中にあったという説を元にしている。伊勢神宮などでは神器が持ち出されたという記録はない。

吾妻鏡』によれば、1185年元暦2年)の壇ノ浦の戦い平氏源義経率いる源氏が戦った際に、安徳天皇が入水し草薙剣も赤間関(関門海峡)に水没したとされる。またこの時、後鳥羽天皇は三種の神器が無い状態にもかかわらず後白河法皇院宣を根拠として即位している。

足利尊氏後醍醐天皇建武の中興に離反し、1336年延元元年/建武3年)に光明天皇北朝を立てて京都室町幕府を開くが、後醍醐天皇は、自分が北朝に渡した神器は贋物であり自己の皇位が正統であると主張して吉野(奈良県吉野郡吉野町)に南朝を開き南北朝時代が始まる。正平一統の後に南朝が一時京都を奪還して北朝の三上皇を拉致する際に神器も接収し、後光厳天皇はじめ北朝の天皇は後鳥羽天皇の先例にならい神器無しで即位している。南朝の北畠親房は『神皇正統記』で、君主の条件として血統のほかに君徳や神器の重要性を強調した。しかし神器無しでの即位は後鳥羽天皇が後白河法皇の院宣により即位したという先例があり、日本において三種の神器は即位の絶対条件ではない。

南朝が保有し続けた神器は、1392年元中9年/明徳3年)に足利義満の斡旋により南北朝が合一された際に南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇に渡った。

室町時代1443年嘉吉3年)に、南朝の遺臣が御所へ乱入し神器を奪う「禁闕の変」が起こり、勾玉が後南朝に持ち去られたままになるが、その後1458年長禄2年)までに奪還されたと伝えられる。

明治時代には、南北両朝の皇統の正統性をめぐる「南北朝正閏論」と呼ばれる論争が起こるが、最終的には明治天皇が、南朝が三種の神器を保有していた事を根拠に南朝が正統であると決定する。

今上天皇1989年1月7日宮殿松の間で行われた「剣璽等承継の儀」において神器を継承した。






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