三枝の愛ラブ!爆笑クリニックとは? わかりやすく解説

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三枝の愛ラブ!爆笑クリニック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 13:31 UTC 版)

三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』(さんしのあいラブばくしょうクリニック)は、フジテレビ系列局で放送されていた関西テレビ制作のトークバラエティ番組。制作局の関西テレビでは1981年9月16日から1995年9月26日まで14年間放送された。桂三枝(現・6代目桂文枝)の冠番組である。開始当初の番組名は『三枝の愛ラブクリニック』の番組名だった。


注釈

  1. ^ 開始初期は2組、後に3組。
  2. ^ 主にタレントまたは文化人が多く、変わった所では住職の栢木寛照が頻繁に出演していた。
  3. ^ 担当は桑原征平アダ・マウロなど。
  4. ^ それ以前は渋谷ビデオスタジオで収録した時期もある。なお、レモンスタジオを使用する以前に東京のスタジオで収録した回については「制作協力:フジテレビ」のクレジットが表記されていた。
  5. ^ エンドロールに「制作協力:レモンスタジオ」の表示が無い放送回が該当。最終回も含む。
  6. ^ 主な例として、1985年8月12日の日本航空123便墜落事故、1994年4月26日の中華航空140便墜落事故、1995年1月17日の阪神・淡路大震災発生時、同年5月16日のオウム真理教事件関連の報道特別番組がある。
  7. ^ 1975年4月の『おくにじまんスター自慢』より10年間続いた「水曜22時台・ロート製薬前半1社提供番組」の最終番組。
  8. ^ 以降、1996年3月までの10年半の間「ロート製薬前半1社提供番組」が火曜22時台になる。
  9. ^ 通常のサイコロと違い、水面に落ちた時点ですぐ止まってしまった上に判定がし辛かった。
  10. ^ この時妻が投げたサイコロの出目がで、当たりを示すハートマークがの1箇所しか無く、辰吉は当たりの出目であるを横にした。
  11. ^ ただし、1988年9月中旬から1989年1月までは昭和天皇が病気になった事により、ロートのオープニングキャッチは休止され、テーマ曲+「この番組はロート製薬の提供でお送りします」というパターンに変更された(しかし、1989年1月2日に放送された正月スペシャルでは特別にオープニングキャッチが流れた)。当時放映していた他のロート一社提供番組も同様の措置が取られている。
  12. ^ テレビ朝日系とのクロスネット解消による開始。それ以前は当該時刻に同系列の『プロポーズ大作戦』〜『パーティー野郎ぜ!』を同時ネットの後、『月曜ドラマ9』を遅れネットで放送していた。
  13. ^ 同局1993年3月まではフジテレビ系列だった
  14. ^ ただし、近隣のフジテレビ系列局(秋田テレビ・仙台放送・新潟総合テレビ・福島テレビ(4局のうち、福島テレビのみ遅れネット))をケーブルテレビなどで受信できた場合は4月以降も引き続き視聴できた。火曜夜10時枠では日本テレビ系の『水曜ロードショー金曜ロードショー』(YTSでは「火曜ロードショー」のタイトルで放送)の時差ネットを放送していた。
  15. ^ はまつアワー』として放送。終了時は別番組(『開運!なんでも鑑定団』)だった
  16. ^ 1990年3月までは日本テレビ系の『土曜グランド劇場』放送の為時差放送。
  17. ^ 1985年4月の月曜移動時は『世界まるごとHOWマッチ』の時差ネット、1985年10月の火曜移動以降『月曜22時枠のドラマ』を時間変更せずに遅れネットに移行したため、時差放送。
  18. ^ テレビ山口のFNS脱退に伴う移行。
  19. ^ 1993年ごろまでは時差放送だった。
  20. ^ テレビ熊本は開局当初からフジ系メインネット局でありながら、クロスネット期間中(開局から1989年9月30日まで)は当該時間帯にテレビ朝日系時差ネット枠が組まれていたため、当番組のネット受けは行わず、フジ系シングルネット化完了後に放送を開始した。
  21. ^ 鹿児島テレビは1985年4月からネットを開始し、1986年3月までは同時ネット。1986年4月〜1987年3月は日曜22:30〜23:30、1987年4月〜1994年3月は深夜番組として時差ネット。1994年4月以降は最終回までは再び同時ネット。なお、深夜の時差ネット以外は提供スポンサーのCMもキー局と同じモノをそのまま流していた。
  22. ^ 例:番組開始後にブルーバックで「この番組はロート製薬と、ご覧のスポンサーの提供でお送りします」との提供読み。
  23. ^ どの局だったかは不詳。

出典

  1. ^ a b 企業と広告』第18巻第8号、チャネル、1992年8月1日、27頁、NDLJP:2853113/16 
  2. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)175pより。


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