三日平氏の乱 (鎌倉時代)
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三日平氏の乱(みっかへいしのらん)は、鎌倉時代初期、伊勢国と伊賀国で平家の残党が蜂起した事件。建仁3年(1203年)12月に伊勢平氏の若菜盛高らが蜂起し、討伐に向かった鎌倉幕府軍の平賀朝雅が、元久元年(1204年)4月10日から12日の間に反乱軍を鎮圧した事から「三日平氏の乱」と称された。
- ^ 岡野友彦「池大納言領の伝領と関東祗候廷臣」(初出:『大倉山論集』43号(財団法人大倉精神文化研究所、1999年/所収:岡野『中世久我家と久我家領荘園』(続群書類従完成会、2002年) ISBN 978-4-7971-0738-8 第二編第三章)
- 1 三日平氏の乱 (鎌倉時代)とは
- 2 三日平氏の乱 (鎌倉時代)の概要
- 3 異説
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