平賀朝雅とは? わかりやすく解説

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ひらが‐ともまさ【平賀朝雅】

読み方:ひらがともまさ

[?〜1205]鎌倉前期武将信濃の人。北条時政後妻牧の方女婿比企能員(ひきよしかず)追討などで功績があった。のち、牧の方と謀って将軍になろうと企てて討たれた。


平賀朝雅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/14 08:38 UTC 版)

平賀 朝雅(ひらが ともまさ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての鎌倉幕府御家人新羅三郎義光流で源氏門葉として源頼朝に重用された平賀義信の四男。母は頼朝の乳母比企尼三女。妻は北条時政牧の方の娘。名は朝政とも。


  1. ^ a b c 山本みなみ『史伝 北条義時』(小学館、2021年)p.150
  2. ^ 『吾妻鏡』によると五条有範後藤基清・安達親長・佐々木広綱佐々木高重ら。
  3. ^ 『吾妻鏡』では松坂(現在の山科区日ノ岡)。
  4. ^ 『吾妻鏡』によると金持広親・佐々木盛綱ら。
  5. ^ 『吾妻鏡』では山内首藤通基(経俊の子)が討ち取ったとある。


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