ローラン・ボックとは? わかりやすく解説

ローラン・ボック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/05 05:12 UTC 版)

ローラン・ボックRoland Bock1944年8月3日 - )は、ドイツの元プロレスラー。旧西ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州ガイスリンゲン出身。


注釈

  1. ^ "Roland" のカタカナ表記は「ローラント」がドイツ式の原音に近いが、本人はプロレス専門紙『週刊ファイト』でのインタビューにおいて「ローラントは間違いなので、ローラン・ボックと表記してほしい」と語っていた。これはヨーロッパで広く知られるフランス叙事詩 "La Chanson de Rolandローランの歌)" の主人公に自らを重ねていたことに由来する(シュトゥットガルトでのアントニオ猪木戦で、ボックを応援する観客が大合唱したのがローランの歌である)。つまり、リングネームとしては「ローラン」とフランス語風に発音することを本人は希望していた。
  2. ^ 自身も同様の悪評と無縁とは言えなかったカール・ゴッチは、ボックからの対戦オファーを受けたアントニオ猪木に、あんなルール破りの男と戦うのは危険だと忠告したなどと伝えられるが、ゴッチは1978年当時、ボックと不仲だったドイツのプロモーターのグスタル・カイザーと新日本プロレスとの提携の仲介役を担っていた。そのためゴッチは、ボックと新日本が接近することでカイザーが態度を硬化させてしまっては、新日本のブッカーとしての今後の自分の立場に支障をきたすという思惑から、ボックのオファーに応じないよう猪木を説得していたともされる(『Gスピリッツ Vol.22』、P67)。
  3. ^ メキシコ滞在時、プロレスのリングに上がり地元のルチャドールと対戦したなどと日本で報じられたことがあったが、本人は「プロレスを観てすらいない」と否定している。同様に、アマチュア時代にアメリカへ遠征した際、プロレス興行に飛び入りで参加してカウボーイ・ボブ・エリスと対戦したという報道も一部でなされたが、これも本人は否定しており、アマチュア時代にプロレスラーと会ったのは1966年の世界選手権でイギリスマンチェスターに遠征した時だけだと答えている(『Gスピリッツ Vol.21』、P4)。
  4. ^ プロモーターのグスタル・カイザーが、ボックの実力を試すためにゴーディエンコにシュートを仕掛けさせたという。試合はボックが敗退したが、勝者のゴーディエンコは足首を骨折。以降、両者は互いの実力を認め合う親友となった(『Gスピリッツ Vol.21』、P7)。
  5. ^ 試合は途中から手段を選ばない喧嘩まがいの展開となり、場外戦でボックが流血、その後も頭突き肘打ちパンチングの応酬が続きノーコンテストとなったが、アンドレはボックの戦い方に怒りが収まらず、試合後もボックの控室に殴り込んできたという(『Gスピリッツ Vol.23』、P78)。

出典

  1. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.21』、P6。
  2. ^ 『Gスピリッツ Vol.21』、P2。
  3. ^ a b c d 『Gスピリッツ Vol.21』、P4。
  4. ^ ローラン・ボック”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月5日閲覧。
  5. ^ a b c d 『THE WRESTLER BEST 1000』、P118。
  6. ^ 1962年から1972年までの陸上競技雑誌 ドイツでの100年間のレスリング、Der Ringer出版社、ニーデルンベルク、1991年、221ページと232ページ FILA国際レスリング選手権の記録、1976年 等
  7. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.21』、P5。
  8. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.21』、P7。
  9. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』、P180。
  10. ^ 『Gスピリッツ Vol.22』、P69。
  11. ^ 『Gスピリッツ Vol.22』、P70。
  12. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.21』、P8。
  13. ^ 【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月20日閲覧。
  14. ^ 『Gスピリッツ Vol.22』、P75。
  15. ^ 『Gスピリッツ Vol.22』、P80-81。
  16. ^ 『Gスピリッツ Vol.22』、P80。
  17. ^ a b c d 『Gスピリッツ Vol.21』、P9。
  18. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.23』、P78。
  19. ^ 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』、P16(2002年、日本スポーツ出版社)。
  20. ^ NJPW 1981 The 2nd Madison Square Garden Tag Team League”. Puroresu.com. 2015年10月8日閲覧。
  21. ^ NJPW 2nd Madison Square Garden Tag League - Tag 19”. Cagematch.net. 2015年12月19日閲覧。
  22. ^ NJPW 2nd Madison Square Garden Tag League - Tag 16”. Cagematch.net. 2015年12月19日閲覧。
  23. ^ NJPW New Year Super Fight”. Cagematch.net. 2015年12月19日閲覧。
  24. ^ プロレス蔵出し写真館 ムタvs中邑真輔で思い出す41年前の新日元日興行 猪木とボックの試合は途中で放送終了東京スポーツ 2023年1月1日
  25. ^ a b c d 『Gスピリッツ Vol.21』、P13。
  26. ^ プロレス蔵出し写真館 猪木を圧倒したローラン・ボック ジャンボ鶴田は〝塩評価〟「あれはプロレスじゃない」東京スポーツ 2022年5月8日
  27. ^ Stuttgarter Zeitung, Stuttgart, Germany. Schwere Zeiten für Rockfabrik Ludwigsburg: „Die Leute suchen heute das Besondere“. http://www.stuttgarter-zeitung.de/inhalt.schwere-zeiten-fuer-die-rockfabrik-ludwigsburg-die-rofa-ist-ein-anachronismus.ffe74ab2-13a3-473e-9ee8-80c2c306f8fd.html 
  28. ^ "Rockfabrik-Ludwigsburg.de - Mehr Rock als alle anderen!". 2017年1月22日閲覧
  29. ^ 1983年11月にロックファブリクがルートヴィヒスブルクにオープン
  30. ^ 『Gスピリッツ Vol.23』、P70-71。


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