ローマ帝国の撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 10:08 UTC 版)
「ローマ・ブリトン文化」の記事における「ローマ帝国の撤退」の解説
ブリタンニアは有数の帝国に忠実な属州となり、帝国で内乱が起きるたびにブリタンニアの軍団が動員された。しかしホノリウス帝がガリア平定のためにブリタンニア軍団を動員しようとしたとき、彼らは反乱を起こして、対立皇帝コンスタンティヌス3世を推戴した。コンスタンティヌス3世はブリタンニアの全軍団を率いてガリアにわたり、後にホノリウスから共同皇帝として認められた。 ホノリウスは、ローマ軍団が去った後のローマ・ブリトン人に「自己防衛」するよう命じた。それ以降、ブリタンニア住民から嘆願書(『ゲミトゥス・ブリタンノールム』)を受け取ったアエティウスが一時期ブリタンニアに海上支援を行った可能性があるが、それを除けばローマ帝国政府とブリタンニアの軍事的な関係は途絶えた。
※この「ローマ帝国の撤退」の解説は、「ローマ・ブリトン文化」の解説の一部です。
「ローマ帝国の撤退」を含む「ローマ・ブリトン文化」の記事については、「ローマ・ブリトン文化」の概要を参照ください。
- ローマ帝国の撤退のページへのリンク