リューベチの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 06:18 UTC 版)
「ルーシ内戦 (1015年-1019年)」の記事における「リューベチの戦い」の解説
1016年、ヤロスラフは3000人のノヴゴロド兵と、ヴァリャーグの傭兵隊を率いてキエフへ向かった。一方スヴャトポルクはペチェネグ族の部隊を自陣に加え、これに備えた。両軍はリューベチ付近のドニエプル川河畔で遭遇し、3ヶ月の間対峙した。対峙の間に晩秋となったが、両軍ともに渡河攻撃の機会を得なかった。この対峙は、最終的にはヤロスラフ側の勝利に終わった。合戦において、ペチェネグ部隊は湖に阻まれて、スヴャトポルクの本隊と連携をとることができず、救援に向かうことができなかった。勝利したヤロスラフはキエフ大公を名乗り、ノヴゴロドの人々に褒章を支払った。スヴャトポルクはポーランドへ逃走した。
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