ラトック 2峰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 03:19 UTC 版)
ラトック2に最初に挑んだのは、1975年の日本の登攀倶楽部 京都隊(高田直樹隊長)である。北面の雪壁から北稜コルに達した後、リッジを辿ったが頂上には届かなかった。次いで1977年に、アルツーロ・ベルガマスキに率いられたイタリア隊が、高田隊の反対側のルート、南面のバインター・ルクバル氷河からのルートをとり、初登頂を果たした(これはこの山群での最初の登頂である)。彼らはこのピークの南東面を登り、E・アミモンタ、T・メイス、R・ベランティーニが登頂した。 ラトック2での特筆すべき登頂が最近の1997年になされた。アレキサンダー・フーバー(Alexander Huber)、トーマス・フーバー(Thomas Huber)、トニー・ガッシュ(Toni Gutsch)、コンラッド・アンカーよりなる極めて強力なパーティーは、垂直に切り立った西壁を攀り、頂上に達した。彼らはこのルートのことを、マッキンリーの頂上にエル・キャピタンを置いたようだと表現している。標高6,100mの基部から垂直の岩壁は1,000mであり、垂直登攀の登攀距離はトータル2,200mに達した。
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