ラテン化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 07:22 UTC 版)
「イーストロサンゼルス」の記事における「ラテン化」の解説
イーストロサンゼルスはヒスパニック系やラテン系が集中する地区として知られているが、その淵源は20世紀初頭にさかのぼることができる。これらのラテン系の住民の多くはメキシコからの移民とその子孫である。 しかし、古くはこの地域にもラテン系以外の住民が住んでいた。1930年代に入ってロサンゼルスの西側の開発が進むまで、ロサンゼルス北東部には非ラテン系の白人が多かった。イーストロサンゼルスの西に隣接するボイルハイツ(Boyle Heights)には、第二次世界大戦前にはセルビア系、ユダヤ系、日系が多く住んでいた。リンカーン・ハイツ(Lincoln Heights)にはイタリア系が多かった。これらの民族グループは、第二次世界大戦が終わると郊外へと移り住み、イーストロサンゼルスやボイルハイツにはラテン系のスラムが形成されていった。1950年頃までには、この地域は少数のフィリピン系を除いて、住民のほとんどがメキシコ系で占められるようになった。 イーストロサンゼルスでは非ラテン系白人とラテン系との民族間緊張が高かった。第二次世界大戦中の1943年に群発的に発生した暴動、ズート・スーツの暴動(Zoot Suit Riots)では、その暴力的行為の多くがダウンタウンのみならず、イーストロサンゼルスにおいてもなされた。
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