ラストランで2度目のマラソン優勝・引退後
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「赤羽有紀子」の記事における「ラストランで2度目のマラソン優勝・引退後」の解説
2014年1月26日、引退レースとなる大阪国際女子マラソンに出場。終盤の37Km過ぎまでタチアナ・ガメラシュミルコと先頭を争い、その後ガメラシュミルコから徐々に離されたが、日本人トップで2時間26分丁度の2位(当初)に入る(仁川アジア競技大会の選考レースでも有り、アジア大会女子マラソン日本代表選出の可能性が有ったが現役引退のため辞退)。だがそれから2年近く経過した2015年12月22日、当初首位ゴールのガメラシュミルコがドーピング違反により資格停止処分が下され、優勝及び記録を抹消したため、2位の赤羽が繰り上がり大阪国際女子マラソンでは3年ぶり2度目の優勝者となった。 3日前の大阪国際女子マラソンで有終の美を飾ったラストランの後、2014年1月29日に現役引退の記者会見を開いた。赤羽曰く「達成感があって満足している」と選手生活を振り返り、今後は「走る楽しさを伝えたい」として、陸上競技の普及活動を行いたい意思を明らかにした。 引退後の2014年4月1日より、赤羽有紀子はホクレンスポーツアンバサダーに就任。夫の周平はホクレンを退社、豊田自動織機女子陸上部のヘッドコーチに転任。有紀子は1児の母として育児する傍ら、各マラソン大会のゲストランナー出場や陸上教室、講演などでも活動していた。
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