ヤシの葉
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『ヤシの葉』(原題:Palmetto Leaves)は、アメリカ合衆国の作家ハリエット・ビーチャー・ストウが、フロリダ州マンダリンで冬を過ごした時のことを執筆し、1873年に出版した回想録であり、結果的に旅行ガイドにもなった。ストウは既に1852年に出版した『アンクル・トムの小屋』で有名になっており、南北戦争(1861年-1865年)後にフロリダ州に来て、ジャクソンビルの近くにプランテーションを購入した。それは息子が北軍兵士として受けた傷を癒し、新たな人生のスタートを切る場所という意味合いがあった。ストウは息子を尋ねた後でその地域に夢中になり、自分のためにコテージとオレンジの林を買い、1884年までそこで冬を過ごすことになった。プランテーションそのものは最初の年に失敗していたが、それには構わなかった。『ヤシの葉』の一部はストウの弟のヘンリー・ウォード・ビーチャーが、北東フロリダにおける生活に関する一連の手紙と随筆として新聞に掲載した。
- ^ キングスリーとアンナ・ジェイは1814年にセントジョンズ川河口にあった別のプランテーションに移転し、そこで25年間住んだ。現在はキングスリー・プランテーションとしてアメリカ合衆国国立公園局が保護している
- ^ 『アンクル・トムの小屋』の出版は、ストウを国際的な著名人にした。ストウは既に奴隷制度廃止運動家のサークルで活動しており、元奴隷で独学で北部中に著名な存在になっていたフレデリック・ダグラスと知り合いになっていた。ダグラスは奴隷制度の悪徳について講義を行い、また自由になったが貧困で教育の無い黒人が如何にしたら生活を維持できるかについて考えていることを講義した(Thulesius, p. 61–65)。 『アンクル・トムの小屋』の出版から南北戦争開戦までのいずれかの時点で、ストウはダグラスを自家に招き、この問題について自ら彼に尋ねた。ダグラスに拠れば、その答えの主たるものは教育だった。 ストウはそれから間もなくイングランドでの講演旅行に出発し、逃亡奴隷を援助するために慈善事業に駆り出されたイギリスの同調者から莫大な金を集められると期待していた。ダグラスは元奴隷のために工業学校から始めようとしており、ストウが2万ドルほどを調達してくれると期待していた。会話の行き違いがあったか、ストウがその資金の管理を誤ったか、あるいはダグラス自身が失敗したかで、結局ストウがダグラスに渡したのは500ドルだけだった。ダグラスは混乱し失望した (Thulesius, p. 65)。
- ^ アルコールはフレッド・ストウの残り人生に付きまとった。船で地中海に行って誘惑から逃れようとしたが、その中毒を振り落とせなかった。1870年、マンダリンで両親と生活しているときに、両親をそれ以上煩わせないという決断をした。チリ行きの船に乗ったが、サンフランシスコまで行っただけで港で降りた。幾人かの友人がホテルまで連れて行き、そこに落ち着いていたが、いつの間にか消息が絶えた。その後二度とフレッドからの便りは無かった。ストウは彼の居場所を突き止めようとしたが徒労に終わった。ストウの老年に至ってフレッドのことをいつも語っていた(Wilson, p. 559–560.)(Stowe, Charles, p. 278–279.)
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