モーツァルト家の大旅行とは? わかりやすく解説

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モーツァルト家の大旅行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/08 09:53 UTC 版)

この項ではモーツァルト家の大旅行、すなわちレオポルト・モーツァルトとその妻アンナ・マリアが、1763年から1766年にかけて音楽的才能に恵まれた彼らの子どもたちであるマリア・アンナ(愛称ナンネル)とヴォルフガング・アマデウスを率いて行った演奏旅行について詳述する。旅行開始時には2人の子どもはそれぞれ11歳と7歳だった。彼らの並外れた技量は1762年ウィーンを訪問し、ハプスブルク君主国領袖のマリア・テレジアに演奏を披露した際にはすでに明らかであった。ヨーロッパの主要都市や文化の中心を巡る旅が長くなるにつれて社会的、金銭的成功の可能性が強まっていることを察知したレオポルトは、ザルツブルク領主司教のカペルマイスター代理職の長期休暇を願い出た。その後の旅行における子どもたちの早熟な演奏ぶりは聴くものに驚嘆と満足をもたらし、2人の「神童」ぶりは確固たるものとなっていった。


注釈

  1. ^ この2人の洗礼名はマリア・アンナ・ヴァルブルジア・イグナツィア(Maria Anna Walburgia Ignatia)とヨハンネス・クリュソストムス・ヴォルフガング・テオティルス(Joannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus)である。マリア・アンナは「ナンネル」と縮めた名前で知られており、ヴォルフガングの方は一般にはヴォルフガング・アマデ(AmadéまたはAmadè)と省略して使われていた。「ヴォルフガング・アマデウス」という名前は、彼が生前に有名になってから使われるようになった。テオフィルスとアマデウスという言葉は、それぞれギリシャ語ラテン語で「神の愛」を現す言葉である[6]
  2. ^ a b c 訳注:1723年生まれ、ドイツ生まれでフランス語の作家。(Friedrich Melchior
  3. ^ フロリン、グルテンはオーストリア=ハンガリー帝国の通貨である。英国の通貨であるポンドとの交換レートは1グルテン = 0.1ポンドであった。(gulden
  4. ^ 訳注:1723年生まれ、音楽好きで作曲もたしなんだ。音楽嫌いの父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の眼を忍んでの秘密の趣味だった。(Anna Amalia
  5. ^ 訳注:1640年ルイ13世が導入した通貨。50ルイ・ドールは約500フロリンに相当する。右記リンク先に硬貨の写真がある。(Louis d'or
  6. ^ 訳注:1741年生まれ。1755年にテッセ伯ルネ・ド・フルーレと結婚。トーマス・ジェファーソンとは書簡のやり取りをする仲だった。(Madame de Tessé
  7. ^ 訳注:トラファルガー広場の北東の角に位置するイングランド国教会の教会。アカデミー室内管弦楽団の正式名称(Academy of St Martin in the Fields)はこの教会にちなむ。(St Martin-in-the-Fields
  8. ^ 訳注:1628年創設のイングランド貴族。(Earl of Thanet
  9. ^ ザスローはこの曲はハーグで作曲された可能性が高く、少なくとも完成はハーグにおいてであったと結論している[46]
  10. ^ 交響曲第2番』K.17と『第3番』K.18は偽作とされる。第2番はレオポルトの作、第3番はアーベルの作である[47]
  11. ^ 訳注:ゴシック建築プロテスタントの教会。以前はカトリックの聖堂だった。(Grote Kerk
  12. ^ 言葉の意味するところは「très mediocre」が「ひどくさえない」、「Un miserable italien detestable」が「ぞっとするようなイタリアの悲惨さ」、「Asini tutti」が「全員まぬけ」、そして「Rotten」が「不適格」である[66]
  13. ^ 訳注:バーデン=ヴュルテンベルク州発祥のドイツ貴族。数世紀にわたり、各界に多数の著名人を輩出した。(Fürstenberg
  14. ^ 同様の取り違えは、現在ではレオポルトの作品とされる『交響曲第2番』でも起こっている。
  15. ^ 「アリア・ダフェット」(Aria d'affeto)とは、ゆったりした表現主体のアリアを指す言葉である。例えば『フィガロの結婚』の「Dove sono」や『コジ・ファン・トゥッテ』の「Per pièta, ben mio, perdona」などが該当する。
  16. ^ 彼は150フロリンの給料で宮廷のコンサートマスターに就任していた[91]

出典

  1. ^ Spruce, p. 71
  2. ^ O'Connor, pp. 40–41
  3. ^ Sadie, p. 102
  4. ^ Sadie, pp. 192–93
  5. ^ Knittel, p. 124
  6. ^ Sadie, pp. 15–16
  7. ^ a b c Glover, pp. 16–17
  8. ^ Sadie, p. 18
  9. ^ Blom, p. 8
  10. ^ Sadie, p. 22は、この訪問はナンネルの「記憶違い」だったのではないかと疑問を投げかけている。
  11. ^ a b c d Sadie, pp. 23–29
  12. ^ Blom, p. 14. Gutman, Introduction p. xx, has the same story. See also Evelyne Lever, Marie Antoinette
  13. ^ a b c Glover, pp. 18–19
  14. ^ a b Kenyon, p. 55
  15. ^ a b c d e Sadie, pp. 34–36
  16. ^ a b Hildesheimer, pp. 30–31
  17. ^ a b c Hildesheimer, p. 29
  18. ^ Blom, p. 23
  19. ^ Halliwell, p. 67
  20. ^ Blom, p. 14
  21. ^ Glover, p. 19
  22. ^ Halliwell, p. 56
  23. ^ Sadie, p. 37に引用されているレオポルトの書簡による。
  24. ^ a b c d e f Sadie, pp. 37–47
  25. ^ Sadie, p. 35
  26. ^ Glover, p. 20
  27. ^ Sadie, p. 41
  28. ^ a b Blom, p. 17
  29. ^ Sadie, p. 46
  30. ^ a b c d e f Sadie, pp. 47–50
  31. ^ a b Kenyon, p. 56
  32. ^ a b c Zaslaw, pp. 28–29
  33. ^ Baker, p. 22
  34. ^ Blom, p. 19
  35. ^ Sadie, p. 57
  36. ^ Zaslaw, p. 42
  37. ^ a b Sadie, pp. 58–59
  38. ^ Sadie, pp. 58–60
  39. ^ ザスローはこの2度目の王室の演奏会の日付を5月28日としている。 Zaslaw, p. 26
  40. ^ Blom, pp. 23–24
  41. ^ a b c Blom, p. 25
  42. ^ Sadie, p. 62
  43. ^ Sadie, pp. 63–65
  44. ^ a b Glover, p. 25
  45. ^ Zaslaw, pp. 25–26
  46. ^ a b c d Zaslaw, pp. 44–45
  47. ^ a b Blom, p. 26
  48. ^ Hildesheimer, pp. 34–35
  49. ^ Zaslaw, pp. 17–20
  50. ^ Hildesheimer, p. 33
  51. ^ Sadie, p. 86
  52. ^ Sadie, p. 66
  53. ^ Gutman, p. 184 (f/n)
  54. ^ Blom, p. 27
  55. ^ Sadie, p. 72
  56. ^ Sadie, p. 69
  57. ^ a b Sadie, pp. 75–78
  58. ^ a b c d e f g h i Sadie, pp. 90–95
  59. ^ Blom, p. 30
  60. ^ Zaslaw, pp. 47–51
  61. ^ Zaslaw, pp. 52–55
  62. ^ Zaslaw, p. 64
  63. ^ Zaslaw, pp. 64–66
  64. ^ a b Sadie, pp. 96–99
  65. ^ Blom. p. 32
  66. ^ Zaslaw, p. 67.
  67. ^ 近年の研究結果がSadie, p. 99に引用されている。
  68. ^ a b c d e f Sadie, pp. 99–103
  69. ^ a b c d e Glover, p. 26
  70. ^ Sadie, p. 111
  71. ^ a b Halliwell, p. 55
  72. ^ Halliwell, p. 61
  73. ^ Halliwell, p. 64
  74. ^ Halliwell, p. 85
  75. ^ a b Glover, p. 24
  76. ^ Halliwell. p. 63
  77. ^ Zaslaw, pp. 29–31
  78. ^ Sadie, pp. 613–21 (summary of Köchel catalogue)
  79. ^ Köchel's catalogue of Mozart's works”. Classical.net. 2008年10月27日閲覧。
  80. ^ Zaslaw, p. 35
  81. ^ Sadie, p. 82.
  82. ^ a b Sadie, pp.104–08
  83. ^ Sadie, p. 108
  84. ^ Zaslaw, p. 70
  85. ^ Sadie, pp. 111–12
  86. ^ Blom, p. 34
  87. ^ Glover, p. 28
  88. ^ Kenyon, p. 61
  89. ^ Sadie, p. 176
  90. ^ Kenyon, p. 64
  91. ^ Blom, p. 60
  92. ^ Kenyon, p. 65


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