モータージャーナリストへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 13:33 UTC 版)
「小林彰太郎」の記事における「モータージャーナリストへ」の解説
1954年に大学卒業後、第二次世界大戦後初の本格的な自動車雑誌であった『モーターマガジン』(日刊自動車新聞社)へ寄稿するようになり、「それでも車は動く」、「ロードインプレッション」などの連載が人気となった。また、日本国産車の発展を考え、それまでのタクシー専用車や営業車の派生から決別した純オーナードライバー向けモデルの開発が必要であると主張した。 1961年に、「モーターマガジン」編集部員だった高島鎮雄、吉田次郎とともに、当時は書道専門出版社であった二玄社(東京都千代田区)から、写真集「スポーツカー」を出版した。しかし、これがもとで『モーターマガジン』誌との関係が悪化し、同様に同誌から退職することとなった高島と吉田とともに同誌と絶縁した。
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