ムスタファ・ケマル・アタテュルク
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ムスタファ・ケマル・アタテュルク[注釈 1][注釈 2](トルコ語: Mustafa Kemal Atatürk、1881年5月19日[注釈 3] - 1938年11月10日)は、オスマン帝国軍の将軍、トルコ共和国の元帥、初代大統領(在任1923年10月29日 - 1938年11月10日)。
注釈
- ^ 軍隊の階級に沿って敬称、称号が変わり、称号は尉官の間エフェンディ(トルコ語: Mustafa Kemal Efendi)、佐官時代はベイ(Mustafa Kemal Bey)、1916年3月19日に将官に昇進するとパシャ(Mustafa Kemal Paşa)、1921年9月19日以降は帰還兵を指す敬称ガーズィが名前の前に添えられた(Gazi Mustafa Kemal Paşa)。1934年11月24日から1935年まで、ケマル・アタテュルク(Kemal Atatürk)。1935年の身分証明書はカマール・アタテュルク(Kamâl Atatürk)と記載してある。また日本では表記をケマル・パシャ、「アタチュルク」や「アタトゥルク」とされることもある。
- ^ a b c 「エフェンディ」[誰?]叔母エミネ及び母ズュベイデや妻ラティーフェに用いる「ハヌム」は姓名ではなく、トルコ語における一般的な敬称である。
一定の階級以上の者に当てる称号(ウンヴァン)に「ベイ」「パシャ」があり、ガーズィは帰還兵を意味する。ムスタファ・ケマルのそれに関してはトルコ大国民議会から贈られたものである。 - ^ 正確な生年月日は不明だが、1880年3月13日から1881年3月12日の間と考えて間違いはない。アタテュルクは公式には自身の誕生日として1881年と、祖国解放戦争開始の記念日である5月19日を用いていた[1]。
- ^ ラテン・アルファベットで表せないトルコ語は独自に応分に転写した。
- ^ ムスタファ・ケマル・アタテュルク自身が制定させた苗字法が施行される1934年までトルコ人に姓はなく、イスラム圏の名前に、出身地や父の名前やあだ名を添えて個人の識別をしており、現代もその習俗は続く。
- ^ 軍人を志した動機は、近所の幼年兵学校の生徒の制服が気に入ったためとも、オスマン帝国軍士官であった義父ラグプの息子の奨めを聞いたとも言われ、単に学費が安かったからという説もある。
- ^ 士官学校時代にドイツ語とフランス語、ドイツ語を喋り、フランス民権思想書を原語で読み、英語もできたという。また、この間に山田寅次郎の教えを受けたとも言われる[6]。
- ^ 第1回大会でもキャーズム・カラベキルらが提案済み。
- ^ ムスタファ・ケマルは一生涯、飛行機に乗らなかった。第3軍士官養成所からピカルディ大演習に武官として派遣された際(1910年9月12日–18日)、演習地へ飛行機で向かうよう勧められ、搭乗予定であった機体は墜落して搭乗者全員が死亡。当人は同行した将校の警告に従って乗らず一命を取り留めている。
- ^ リラ歩兵師団はスティリヤン・コヴァチェフ将軍の指揮するブルガリア第4軍隷下。
- ^ このサムスン上陸の5月19日は、後にトルコ共和国が「トルコ祖国解放戦争開始の記念日」と定める。
出典
- ^ Mango 2011, p. 27
- ^ a b c “わかる! 国際情勢 トルコという国”. www.mofa.go.jp. 外務省. 2022年6月16日閲覧。
- ^ a b トルコ国父の名冠した施設再建「文化センター」開館『読売新聞』朝刊2021年10月31日(国際面)
- ^ Scholem 2007, p. 732
- ^ Fatih Bayhan 2008, p. 84
- ^ 「日本とトルコの民間友好史 快男児・山田寅次郎」『トルコの時代』、駐日トルコ共和国大使館、2003年 。
- ^ a b c d e 参謀本部戦史総局 1972, p. 2
- ^ T.C. Genelkurmay Harp Tarihi Başkanlığı Yayınları, Ibid., p. 7.
- ^ Zekeriya Türkmen 2001, p. 105
- ^ Zekeriya Türkmen 2001, p. 106
- ^ “18 Ekim 1920: Ankara Hükümeti tarafından sahte Türkiye Komünist Fırkası kuruldu” (トルコ語). Marksist.org (2013年10月18日). 2016年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月6日閲覧。
- ^ Hoiberg 2010, p. 23
- ^ 大村 2012, p. 42
- ^ 武田 1987, pp. 145, 150
- 1 ムスタファ・ケマル・アタテュルクとは
- 2 ムスタファ・ケマル・アタテュルクの概要
- 3 概要
- 4 イスラーム主義者による批判
- 5 脚注
- 6 関連項目
- 7 外部リンク
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