マンスホルト計画からマクシャリー改革まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/05 02:19 UTC 版)
「共通農業政策」の記事における「マンスホルト計画からマクシャリー改革まで」の解説
マンスホルト計画の失敗の影響で1970年代には農業改革を進めようとする者がほとんど現れず、改革の機運は退潮した。通貨統合計画の初期には "Agrimoney" と呼ばれる制度が導入されたこともあったが失敗に終わり、農業改革が進められるということにつながらなかった。 1980年代には共通農業政策にとって実質的に初めての改革が行われ、これは1992年以降の改革につながっていくものとなった。農業団体が弱体化した影響で改革を行いやすい状況ができてきたのである。環境保護運動団体が共通農業政策改革への支持を集め、また農作物の過剰生産により歳出額が上昇し、また無駄な支出も増加したこともあって共通農業政策のために財政均衡が傾かせかねないという懸念が高まってきたのである。これらの要因により1984年に酪農生産高の制限制度が導入され、また1988年には農家に対する補助金支給額に上限が設けられることになった。しかし、なおも共通農業政策の基礎は残り、1992年まで本格的な改革は着手されなかった。
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