マサチューセッツの奇跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 14:26 UTC 版)
「ティーパーティー運動」の記事における「マサチューセッツの奇跡」の解説
ティーパーティー運動がアメリカ政治の潮流として脚光を浴びたのは、2010年1月19日、医療保険(メディケア)改革に熱心に取り組んでいた民主党の大物エドワード・ケネディ上院議員の死去に伴う上院補欠選挙でのことであった。このマサチューセッツ州の議席は、民主党とケネディ家が約半世紀守ってきた、いわゆる”牙城”であったが、これが無名の新人候補によって奪われたのである。 ティーパーティー・パトリオッツは、新人のスコット・ブラウン候補を擁立し、共和党予備選でマサチューセッツ州で従来から指名候補者だったロビンソン候補を下馬評を覆す大差で破り、さらに本選でもブラウンはティーパーティー運動の支持を受けて、「カート・シリングはヤンキースファン」との失言をした民主党候補マーサ・コークリー州司法長官を破って当選した。これは「マサチューセッツの奇跡」とも呼ばれ、これによりマサチューセッツ州の上院議席のうち1つは一足早く2013年まで共和党のものとなり、上院の議事進行妨害行為を阻止するのに必要な安定多数である60議席を民主党は割ることになった。これで一時的ながら、医療保険改革に待ったをかけることに成功した。
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