マクマホンラインに対する中国の対応と中印国境紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 00:16 UTC 版)
「アルナーチャル・プラデーシュ州」の記事における「マクマホンラインに対する中国の対応と中印国境紛争」の解説
マクマホンラインはチベット系住民の分布領域の境界より相当北方に位置するヒマラヤの嶺線付近に引かれていることから、チベットを中国の一部分だと主張する中華民国の歴代政権、中華人民共和国政府ともこのラインを中国とインドとの国境として承認することを拒否、1959~1960年にかけては、インドと中華人民共和国政府の間で武力衝突が勃発するに至っている(詳細は中印国境紛争を参照)。この紛争では、東西の紛争地帯でいずれも中国軍がインド軍を圧倒、中国は、西部紛争地域(アクサイチン地区)では自身が主張する領域に実効支配を確立する一方、東部紛争地域では、一時的には全域を確保しながら、一方的にマクマホンライン以北へ撤兵した。
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