マウンテンバイクへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 15:02 UTC 版)
「ゲイリー・フィッシャー」の記事における「マウンテンバイクへ」の解説
最初に自作のマウンテンバイクを作ったのはジョー・ブリーズであった。仲間達がブリーズにマウンテンバイクの製作を依頼する中、フィッシャーは競技仲間で優れたフレームビルダーでもあったトム・リッチーに製作を依頼、これを「マウンテンバイク」と名づけた。そしてケリーと共同で会社を設立、今までマニアしか知られていなかったマウンテンバイクを積極的に販売した。当時の価格で1,300ドルと非常に高価なものであった。 会社を始めた当初は年間160台しか販売していなかったが、翌年には多くの注文が殺到、需要は非常に高かった。しかし流通の整っていなかったパーツの安定した供給に苦労して内情はかなり厳しく、1983年に会社は自然消滅、ケリーが抜けて「フィッシャー・マウンテンバイクス」となった。1991年に台湾のアンレンに買収されたのち、1993年に会社はトレック・バイシクルの傘下に入った。自転車ブランドとしてのゲイリー・フィッシャーは2010年モデルをもって消滅し、2011年モデルからはトレックブランド内のゲイリー・フィッシャーコレクションとなっているが、フィッシャー自身は以降もマウンテンバイクに関わり、第一人者として認められている。 また彼は既存の規格に囚われない斬新な発想をする人物でもあり、初期のマウンテンバイクの強度を上げるためにヘッドパーツ部分を巨大にした「フィッシャーサイズ」と呼ばれる規格を発案したり、最近[いつ?]では平地での高速巡航能力を上げ、同時に不整地での走行を容易にするために既存の26インチとは異なる29インチのホイール(リム部はロードバイクと同じ700cである)を装着したマウンテンバイク「29er(ツーナイナー)」を考案提唱したりしている。
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