プライスのミズーリ州遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 02:31 UTC 版)
「ウェストポートの戦い」の記事における「プライスのミズーリ州遠征」の解説
1864年9月、スターリング・プライス少将はそのミズーリ軍を率いてミズーリ州に入った。北軍のミズーリ方面軍を指揮するウィリアム・ローズクランズ少将は部隊を集めてその侵入を排撃しようと動き始めた。アルフレッド・プレソントン少将が指揮するローズクランズの騎兵隊が、アンドリュー・J・スミス少将の指揮するテネシー軍の大規模歩兵分遣隊と共にプライスを追った。プライスはセントルイスが強固に防御されていることが分かり、さらに西のジェファーソンシティに脅威を与えるべく動いた。プライスは軽い小戦闘を行った後で、ジェファーソンシティも防御が堅いと判断し、再度西のレブンワース砦に向かった。 北軍カンザス方面軍指揮官サミュエル・R・カーティス少将は、ワイルド・ビル・ヒコックなどのスパイから南軍の動きを知った後にその管理地域にプライス軍が入ってくる脅威に直面した。カーティスはその方面の部隊を境界軍に纏め上げた。ジェイムズ・G・ブラント少将がインディアンに対する作戦から呼び戻され、大半が志願兵の連隊といくらかのカンザス州民兵で構成される第1師団を率いた。カーティスは約4,000名の志願兵を集めたに過ぎず、カンザス州知事トマス・カーニーに志願兵隊を支援するための州兵招集を求めた。カーニー知事は再選を求める選挙が近づいていたこともあり、即座にカーティスがその選挙区から民兵を引き抜こうとしていると疑った。カーニーはプライス軍が遙か遠いミズーリ州に居るときは無関心であり、カンザス州には脅威を与えないと考えていた。プライスが西に転じてジェファーソンシティに向かったとき、カーニーが折れてジョージ・ディーツラー少将がカンザス州兵師団の指揮を執り、境界軍に合流した。
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