ブレイクから解散へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 15:31 UTC 版)
「レベッカ (バンド)」の記事における「ブレイクから解散へ」の解説
1985年4月、新体制での3枚目のシングル「ラブ イズ Cash」が初めてチャートインし、3枚目のアルバム『WILD & HONEY』はオリコン6位を記録。6月には日本青年館でワンマンコンサートを行う。10月放送開始のテレビドラマ『ハーフポテトな俺たち』でレベッカの楽曲が使用され、OP・EDテーマを収録したシングル「フレンズ/ガールズ ブラボー!」がオリコン3位(30万枚)の大ヒット。1985年11月発売の4枚目のオリジナルアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』がオリコン1位を獲得し、当時の国内ロックアルバムとしては異例のミリオンセラー(累計130万枚超え)を記録する。 その後も「RASPBERRY DREAM」「MONOTONE BOY」「MOON」などヒットシングルを連発し、『REBECCA IV』以降のアルバムはすべて80万枚以上のセールスを達成。リミックスアルバムでもチャート1位を獲得した。1988年には6枚目のオリジナルアルバム『Poison』で、第2回日本ゴールドディスク大賞・アーティスト・オブ・ザ・イヤー(邦楽部門)を受賞した。コンサートでは日本武道館6日間(1987年1-2月)、横須賀港での5万人野外コンサート『REBECCA FROM THE FAR EAST』(1987年8月)、コンサートツアー『BLOND SAURUS』の東京ドーム公演(1989年7月)など大規模イベントを成功させた。しかし、超多忙なスケジュールが創作に影響するようになり、一度区切りをつけるべきという決断に至り、1990年1月に行われたコンサートツアー『BLOND SAURUSの逆襲』の日本武道館公演を最後に活動を休止。翌年の1991年2月14日に解散した。 レベッカの解散後、高橋、小田原、サポートギターの是永巧一の3人と宮原学、彼のプロデューサー&バックバンドの柴田俊文の5人で結成したバンド「BABY'S BREATH」は、当初「宮原学&レベッカ・ユニット」と名乗っていた。
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