パッタダカルとは? わかりやすく解説

パッタダカル【Pattadakal】

読み方:ぱっただかる

インド南部カルナータカ州6世紀から8世紀にかけて同地支配した前期チャールキヤ朝の都があったバーダーミに次ぐ寺院都市として栄えたヒンズー教一部ジャイナ教)の寺院群は、いずれもイスラム教徒による破壊をまぬがれ、保存状態もよく、北インドおよび南インド両様式の寺院建築同所見られることで有名。1987年に「パッタダカルの建造物群」として世界遺産文化遺産)に登録された。


パッタダカル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 07:12 UTC 版)

座標: 北緯15度50分58秒 東経75度48分57秒 / 北緯15.8494度 東経75.8159度 / 15.8494; 75.8159


注釈

  1. ^ この時期は北インド全体を統一するような大帝国は出現せず、各地域政権のもとで独自の民族文化が開花した地方文化の時代であった[3]。特にドラヴィダ系においてはチャールキヤ朝やパッラヴァ朝に後続するチョーラ朝のもとで著しい地方文化の進展がみられた[3]
  2. ^ 「ドラヴィダ様式」とも呼称する。
  3. ^ パッラヴァ朝やチャールキヤ朝では、北インドのグプタ朝のもとに完成されたヒンドゥー教的社会秩序を範とした統治がなされたものの同時代の北インドの諸地域に比較すれば柔軟性があり、シヴァ神ヴィシュヌ神についても儀礼に拘泥されないバクティ信仰のかたちで受け止められ、展開された[6]。これは逆に北インドのヒンドゥー思想のあり方へも多大な影響をあたえた[6]
  4. ^ パッタダカルの寺院群に特徴的にみられる南北混淆を称して「デカン様式」と呼称する場合がある[7]

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