ドッペルゲンガー体験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 08:22 UTC 版)
梶井基次郎は、『Kの昇天』より約1年前の1925年(大正14年)7月に発表した『泥濘』の終章の中で、自身が偶然に体感した不思議な自我の分裂(ドッペルゲンガー)について綴っている。 それは、月光に照らされた雪道を歩く自身の影に〈生なましい自分〉を発見し、その〈自分が歩いてゆく!〉姿を、〈月のやうな位置からその自分を眺めてゐる〉という〈眩暈〉のような体験だった。『泥濘』で主人公・奎吉は、そのことに〈漠とした不安〉を感じるが、小溝に流れる銭湯の湯の匂いで、自分の意識は自分自身に戻った。 この『泥濘』や『ある心の風景』、『冬の日』など、心象的な実体験の挿話のいくつかを組み合わせる手法は、基次郎の作品ではよく見受けられるが、『Kの昇天』の場合では、『泥濘』の終章で描かれた上記のような異様な自我分裂の体験を一つの主題としてさらに発展させ、書簡体という手法を採用することで、一つの〈構図〉を持つ架空の物語として作品成立させている。
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