ドイナ・ブンベアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ドイナ・ブンベアの意味・解説 

ドイナ・ブンベア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 18:53 UTC 版)

ドイナ・ブンベアDoina Bumbea, 1950年 - 1997年)は、北朝鮮による拉致被害者ルーマニア出身の女性。1978年、イタリアローマ北朝鮮工作員によって拉致された。のため、1997年に北朝鮮で死去。最後を看取ったのは、北朝鮮による日本人拉致被害者看護師であった曽我ひとみである。曽我ひとみの夫チャールズ・ジェンキンスの著書『告白』(2005年)で知られるようになった[1]


注釈

  1. ^ 友人を使った電話は、北朝鮮工作員による拉致犯罪の隠蔽工作だろうと考えられる[1]
  2. ^ ジェンキンスのみが下士官で他の3人は兵であった[6]。4人は当初、寺洞区域の家で暮らした[6]。その後、万景台区域、太陽里、貨泉と移って同居生活を続けた[6][7]。1972年、4人の米国人には北朝鮮の市民権が与えられたが住所は離され、ジェンキンスとドレスノクは立石里へ移り、それぞれ家と料理人が与えられた[7]
  3. ^ ジェンキンス・曽我ひとみ夫妻と、アブシャーとタイから拉致されたアノーチャ・パンジョイの夫婦は3階で生活、ドレスノク・ドイナの夫婦、パリッシュとレバノンから拉致されたシハーム・シュライテフの夫婦は2階で生活し、1階は空き家の状態であった[5][8]
  4. ^ ダダとドレスノクの間にも息子ができた[9]。名前はトニーで、ドレスノク一家はその頃農場で暮らしていた[9]。ドレスノク自身は2016年に死去している。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n ルーマニア人拉致被害者ドイナさんの身元が判明”. 救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会). 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会. 2021年10月23日閲覧。
  2. ^ a b 北朝鮮による国際的拉致の実態と解決策に関する国際会議”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2006年12月14日). 2021年10月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j ジェンキンス(2006)pp.113-114
  4. ^ 世界に広がる拉致問題”. 国際会議「北朝鮮による国際的拉致の全貌と解決策」全記録. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2006年12月14日). 2021年10月23日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 救う会TV第9回「金正日の拉致指令-1978年に起きた世界規模の拉致」”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2020年6月5日). 2021年10月23日閲覧。
  6. ^ a b c d ジェンキンス(2006)pp.57-60
  7. ^ a b c ジェンキンス(2006)pp.292-298
  8. ^ a b c d e ジェンキンス(2006)pp.163-166
  9. ^ a b c d e f g h i ジェンキンス(2006)pp.199-200


「ドイナ・ブンベア」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ドイナ・ブンベアのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ドイナ・ブンベア」の関連用語

ドイナ・ブンベアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ドイナ・ブンベアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのドイナ・ブンベア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS