トウィード・マシーン
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「タマニー・ホール」の記事における「トウィード・マシーン」の解説
19世紀後半までには、移民からの支持がニューヨーク市政において強大な力を発揮したのみならず、実業界や法の執行にも影響を及ぼすに至った。経営者が従業員に供応を行い、これと引き換えに支援(大概は民主党所属)候補への投票を呼び掛けるなど、いわゆる「企業ぐるみ選挙」が大々的に展開されたのはこの時代である。1854年には擁立候補が市長に初当選したが、これとて「ボス」およびその支持者による違法行為の賜物であった。中でもニューヨーク州上院議員となった「ボス・トウィード」ことウィリアム・M・トウィードが最も悪名高きボスとして知られる。なお、彼は1872年、同じく民主党知事のサミュエル・J・ティルデンによる改革運動の一環として除名処分が下ると、配偶者であるフランシス・I・A・ブールとともに収監され政治生命に終止符が打たれた。また、1892年には牧師チャールズ・ヘンリー・パークハーストがホールを告発したのを機に、大陪審による追及などが行われ、ために1894年の市長選では改革派の候補が当選した。 トーマス・ナストの風刺画「タマニーの輪」 トーマス・ナストの風刺画「腐臭を放つタマニー」 『パック』誌に掲載された風刺画。虎(タマニー)が多くの政敵に追い込まれているところを描いたもの(1893年、F・オッパー作) タマニー・ホール会長リチャード・クロッカーの周囲を配下の政治家が回遊している様子を描いた『パック』誌の風刺画(1899年)
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