デセ、コムボルチャ陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 02:50 UTC 版)
「2021年11月ティグレ軍攻勢」の記事における「デセ、コムボルチャ陥落」の解説
11月2日までの数日間で、TDFはデセ、コムボルチャの両都市を占領した。 ニューヨークタイムズは、この事態について、「両都市は戦略的要衝である……首都から南北に延びる高速道路上に位置するこの都市の攻略は、エチオピアの未来を決めることになるかもしれない」と報じた。 他方、OLAも10月31日カミセの攻略を発表した。これによって軍事同盟を結んでいたTDFとOLAの部隊が合流し、両軍は首都アディスアベバへの進撃を開始した。さらに11月5日、TDFとOLAを含む反政府勢力9派が合流し、エチオピア連邦統一軍事戦線が成立した。 この間、エリトリア軍の活動はほとんど見られなかった。フランスの歴史家でアフリカの角を専門とするジェラール・プルニエによれば、この動きはティグレ州内のエリトリア軍の多くがスーダン国境、またはエリトリアとティグレ州間の国境に配置されていたためである。これは、エジプト、スーダンなどがティグレ州を支援することを防ぐためだと考えられている。このため、大損害を被ったエチオピア政府軍に代わって、アディスアババの防衛を行ったのは、ほとんどがアムハラ人からなる民兵であった。 エチオピア政府軍とその指揮系統について、西側諸国やTDF指導部は、この時点で崩壊したと考えていた。
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