ダム建設と小河内村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:05 UTC 版)
石川達三著『日蔭の村』(1937年(昭和12年)10月刊行)によって、ダム建設開始までの旧小河内村の状況が紹介された。 ダム建設にあたり、旧小河内村と山梨県丹波山村・小菅村の945世帯約6,000人が移転を余儀なくされた。中でも旧小河内村はその大部分が水没した。移住先の一つに山梨県北巨摩郡高根町(現:北杜市)近辺があり、彼らはその後小海線清里駅付近の清里高原周辺に再移住し、清里高原における農業や畜産、観光業の発展に大きく寄与した。 建設中に東京都職員や建設会社社員、下請作業員ら87名が殉職した。奥多摩湖畔に慰霊碑が建てられている。 ダム竣工にあたり、竣工式当日に「小河内ダム竣工記念」の額面10円の記念切手が発行された。 1937年(昭和12年)、旧小河内村を歌った東海林太郎『湖底の故郷』(島田磬也作詞、鈴木武雄作曲)のレコードが発売され大ヒットした。この歌の歌詞を刻んだ碑が戦後、奥多摩湖左岸に建てられた。碑の除幕式には村人たちが招待され、東海林が歌うと参列者の嗚咽がそこかしこから聞こえた。
※この「ダム建設と小河内村」の解説は、「奥多摩湖」の解説の一部です。
「ダム建設と小河内村」を含む「奥多摩湖」の記事については、「奥多摩湖」の概要を参照ください。
- ダム建設と小河内村のページへのリンク