エリセーエフ【Sergey Grigor'evich Eliseev】
セルゲイ・エリセーエフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 04:31 UTC 版)
セルゲイ・グリゴリエヴィッチ・エリセーエフ(ロシア語: Сергей Григорьевич Елисеев; 英語: Sergei Grigorievich Eliseev[注釈 1]、1889年1月13日 - 1975年4月13日)は、ロシアの日本学者、東洋学者である。ハーバード大学教授、ハーバード燕京研究所( Harvard-Yenching Institute)所長などを歴任。フランス国籍。セルジュ・エリセーエフ、英利世夫とも称した。
注釈
- ^ フランス亡命後はフランス語読みにもとづいた「セルジュ・エリセーエフ」(フランス語: Serge Elisseeff')。また、日本語では「英利世夫」と自称していた。
- ^ モスクワの店舗は、2021年をもって閉店[1]。
- ^ 永井荷風も『断腸亭日乗』で、著作を手にして、興味深い半生だと述べた。
- ^ 倉田保雄『夏目漱石とジャパノロジー伝説』は、ライシャワーに冠されている「日本学の父」という称号をエリセーエフに帰そうとする試みである。
- ^ ただしキーンはエリセーエフの講義を無味乾燥と評し、「私はエリセーエフにも多くを負っていて、それは自分がしてはならないことの手本を彼が示してくれたからだった」と述べている[7]。
出典
- ^ a b c “コロナ禍の観光客減が直撃…豪華な内装の高級食料品店が閉業 特権階級に愛されたロシアの「歴史の証人」”. 東京新聞 TOKYO Web (2021年5月17日). 2021年7月19日閲覧。
- ^ a b c d e セルゲイ・エリセーエフフランスニュースダイジェスト1000号
- ^ a b c d e f g ペリー来航以来の日米文化交流とJapan2019 6.夏目漱石とも交流したロシアの大富豪 - セルジュ・エリセーエフ吾郷俊樹、ファイナンス55巻7号、財務省、2019年10月
- ^ 『本郷菊富士ホテル』近藤冨枝、中公文庫、2012、p46
- ^ 遠藤祐 漱石主宰の「朝日文芸欄」(資料) 岩手大学学芸学部研究年報 22(2) 1964年3月 岩手大学学芸学部
- ^ 川口久雄『敦煌よりの風6 敦煌に行き交う人々』(明治書院、2001年)に回想交流を収録。
- ^ a b ドナルド・キーン『私と20世紀のクロニクル』p.108(中央公論新社、2007年)
- ^ エリセーエフ / ライシャワー / ハーバード燕京研究所『大学生のための日本語入門』青葉古書店
- ^ ロシア版ウィキペディアでは貴族は同名の別の一族で立項
- ^ 秋山光和『出会いのコラージュ』(講談社、1994年)に、交流回想を収録。
- ^ チェルヌスキ美術館メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド
- 1 セルゲイ・エリセーエフとは
- 2 セルゲイ・エリセーエフの概要
- 3 受賞・栄典
固有名詞の分類
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