スロバキア人としての自覚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 02:46 UTC 版)
「スロバキア人」の記事における「スロバキア人としての自覚」の解説
19世紀に入り、ハプスブルク帝国内で民族主義運動が盛んになると、北部ハンガリーのスラブ人も自らの出自への関心が強まった。彼らは言語や文化でボヘミアのチェック人との共通性が多かったが、神聖ローマ帝国の領域内でドイツ化が進んだチェック人との差異もあったため、独自の「スロバキア人」という意識が徐々に定着していった。ハプスブルク帝国は1867年にオーストリア・ハンガリー帝国となったが、スロバキア人の地位は低く留め置かれ、帝国内での自治を求める声が強かった。また、ハンガリー王国の首都がブダペストへ帰還し、スロバキア経済が停滞すると、多くのスロバキア人移民がアメリカ合衆国へと渡った。
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