スティーブンの即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 05:30 UTC 版)
「無政府時代 (イングランド)」の記事における「スティーブンの即位」の解説
1135年にヘンリー1世が死ぬと、姉アデラの息子であるブロワ家のエティエンヌがロンドンに入ってイングランド王国を掌握し、イングランド王スティーブンとなった。彼はヘンリー1世が死ぬ間際に自らを後継者に指名したと主張し、また弟のウィンチェスター司教(英語版)ヘンリー(英語版)の協力により教会の支持を受け、マティルダへの誓いは強制された状態で行われたため無効と主張した。さらに、女性相続人を認めないフランク王国のサリカ法も利用した。 イングランド及びノルマンディー諸侯は、イングランド初の女王に対する抵抗感と、ノルマンディーの代々の宿敵であるアンジュー伯に対する警戒心から、スティーブンの即位を支持した。マティルダは誓約違反をローマ教皇に訴えたが、教皇とカンタベリー大司教もスティーブンを支持したためこれを却下した。叔父に当たるスコットランド王デイヴィッド1世も、1138年にスタンダードの戦いに敗れると引き上げてしまった。 スティーブンの治世をブロワ朝(Blesevin dynasty)とも呼ぶが、歴史書によってはノルマン朝の一部とすることもある。
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