ジードルング
ジードルング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 01:03 UTC 版)
その後タウトは1924年にベルリンに戻って、住宅供給公社ゲハークの主任建築家になった。 当時、ドイツは第一次世界大戦で敗戦国となり、様々な工業製品を作ることで賠償金を支払っていた。このため労働者は劣悪な環境下で働いており、ベルリンの労働者住宅は監獄のようであった。この次期、タウトは主任建築家として労働者の健康を考慮したジードルング(集合住宅)建設に注力し、1924年から1932年までの間にジードルング1万2千戸の設計を行った。タウトは、1924年から携わったブリッツのジードルングで国際的な評価を受けた。 この間にタウトが設計した建築物のうち、シラーパークのジードルング(wikidata)(1924年 - 1930年)、ベルリン市ブリッツの馬蹄形住宅(wikidata)(1925年 - 1930年)とカール・レギーンの住宅都市(ドイツ語版)(1928-1930年) は、ベルリンのモダニズム集合住宅群の1部として2008年に世界遺産(文化遺産)に登録されている。 1930年、ベルリンにある母校のシャルロッテンブルク工科大学(現:ベルリン工科大学)の客員教授に就任した。
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