ジュンガリアとロプノール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 10:27 UTC 版)
「ニコライ・プルジェヴァリスキー」の記事における「ジュンガリアとロプノール」の解説
1876年から1877年にかけて天山山脈を越えて東トルキスタンを縦断し、ロプノールだと彼が信じていた場所を訪れた。そこは伝えられるところによればマルコ・ポーロ以来ヨーロッパ人が誰も訪れたことがないという。この探検隊は10人の男たちと24頭のラクダ、4頭の馬からなり、3トンの荷物と資金25,000ルーブルを持っていた。しかし探検は疫病と質の悪いラクダによって悩まされた。1877年9月、キャラバンはましなラクダと馬に交換し、72,000発分の弾薬と大量のブランデー、茶およびターキッシュ・ディライトを用意して、ラサへと向かったが、たどり着く事はできなかった。
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