ザ・スミスのその後
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1996年、ザ・スミスの4人は、裁判所で解散後初めて顔をそろえた。ドラマーのマイク・ジョイスは、作詞作曲者のモリッシーとマーに対して、ザ・スミスのレコーディングとライブからの利益のうちジョイスとルークにそれぞれ10%しか許可しなかったことを不服として調停を申し出ていた。 モリッシーとマーは、他の2人はいつも権利の分配に関して了解していたと主張したが、法廷はジョイスの訴えを認め、100万ポンド以上を遡及して受け取る権利があること、以後はザ・スミスの25%の権利を受け取る決定を下した。 モリッシーはこの決定に大いに不満で、後にこう述べている。「あの裁判はザ・スミスの生涯を安っぽく要約したストーリーだった。マイクはしゃべり続けていたが何も言わなかったのと同じだ。アンディは、名前も覚えてもらえない。ジョニーは、みんなを喜ばせようとしていたが誰も喜ばなかった。そして焼けるようなスポットライトの下にいたモリッシーは何度もこう言われたものだ、『よくも成功者になっていられるな』、『よくも活動できるものだな』と。僕にとってザ・スミスは美しいものだったのにジョニーが出て行って、マイクが壊したんだ。」。 モリッシーとマーは、近年のインタビューでは両者の関係に雪解けが見られそうな発言をしているが、両者とも再結成は頑として否定している。 2005年には、テレビ局VH1のバンド再結成番組がザ・スミスの再結成を試みたものの、モリッシーに接触できず断念した。 2006年には、モリッシー自身にもある音楽イベント主催者から巨額を提示され、再結成ライブを行うオファーがあった。彼は「金の問題ではない」と断ったことを明かし、「素晴らしい旅は終わったんだ。僕は続けたかったが(マーは)終わらせたかったんだ」と述べている。
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