ゴードンベネットカップ優勝(1903年)
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「カミーユ・ジェナッツィ」の記事における「ゴードンベネットカップ優勝(1903年)」の解説
その後、ジェナッツィはメルセデスに乗るようになり、1903年5月に開催されたパリ・マドリッドレース(英語版)では同レースが中止になった時点で14位だった。 この年の7月、イギリスのアイルランド島で第4回ゴードン・ベネット・カップが開催された。本来このレースのためには90馬力のメルセデス・シンプレックス(英語版)が準備されていたが、前月にダイムラー社工場を襲った火事により全て焼失したため、このレースでジェナッツィは60馬力のシンプレックスに乗ることになる。ライバルたちに対して馬力で劣る車両にもかかわらず数々のカーブを巧みなスロットル制御で高速でクリアする離れ業を見せ、2位以下に大差をつけて優勝を収めた。 これは「メルセデス」ブランドを有するダイムラー社にとっても、ドイツ車にとっても、国際的な自動車レースにおける初めての優勝となった。 1906年にACFグランプリに引き継がれるまでゴードン・ベネット・カップはヨーロッパで最も権威のあるレースとみなされており、ジェナッツィはその後も他のレースにも何度か出場したが、この時以上の結果を残すことはなかった。
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