コリントス戦争
コリントス戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 16:13 UTC 版)
紀元前404年、ペロポネソス戦争はスパルタの勝利で終結し、アテナイには親スパルタの三十人政権が樹立された。テーバイの指導者たちは、スパルタが併合の意図を持っていたことを知り、スパルタとの同盟を破棄した。紀元前403年には、テーバイはアテナイの民主制復活をひそかに支援し、スパルタに対する均衡をとらせようとしている。反スパルタ勢力に対してアケメネス朝からの資金提供も行われたことも一つの要因となり、テーバイはコリントスとともに反スパルタ連合の核となっていった。紀元前395年、テーバイやコリントスなどの諸国はスパルタとの間に戦端を開く(コリントス戦争)。テーバイはハリアルトスの戦い(英語版)(紀元前395年)やコロネイアの戦い(紀元前394年)で軍事的な能力を示した。 紀元前387年、アンタルキダスの和約が結ばれ、すべてのギリシアの都市の完全な自治が明記された。この和約はボイオーティアの諸都市のテーバイからの離反を招くものであり、テーバイにとっては破滅的なものであった。紀元前383年、スパルタは裏切りによって城砦を占拠し、テーバイの軍を削減した。
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