第一次ペロポネソス戦争
第一次ペロポネソス戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:00 UTC 版)
「ギリシャの歴史」の記事における「第一次ペロポネソス戦争」の解説
ペルシア戦争に勝利したデロス同盟の中で盟主スパルタよりもアテナイの活躍が目立ったため、デロス同盟の盟主となり、同盟国の多くから貢租を収めさせ、アテナイはやがてエーゲ海を制覇することとなる。また、この貢租を利用してアテナイは市民への分配を行い、アテナイでは民主制がさらに発展、この50年間を「ペンテコンタエティア(英語版)」(古希: πεντηκονταετία、「50年」の意)とトゥキュディデスは呼んだ。こうしてギリシャ世界はアテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟の二つに分かれ、徐々にその対立を深めていくこととなった。 紀元前461年、コリントスとアテナイの関係が悪化して以来、両陣営の間では散発的な戦い(第一次ペロポネソス戦争)が発生しており、これは紀元前448年の第二次神聖戦争 などが行われたが、紀元前446年にアテナイとペロポネソス同盟が30年不戦条約(英語版)を締結することによって終わりを告げた。
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