コザ市長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 03:28 UTC 版)
1956年、大山の出身地である越来村は人口増加に伴い、市に昇格した。市長は比嘉真市が引き継いだが、1958年9月7日に市政施行後初となる市長選挙が行われた。大山は、「基地依存経済からの脱却・祖国復帰」を掲げて、社大党の公認を受けて市長選挙に立候補した。この選挙では、元越来村長の城間盛善、民主主義擁護連絡協議会の推薦を受けた比嘉恵清が立候補していた。選挙戦では城間盛善から「大山が市長に選ばれたら、米軍はこの市をつぶすだろうし、コザ市は立ち行かなくなる」との攻撃を受けた。しかし、7641票を獲得し、城間盛善の4845票と大差をつけて当選した。 急増するコザ市の人口に対処するため、上下水道の整備、道路整備、市営体育館、野球場、陸上競技場、コザ琉米交流センターの建設など、社会インフラ整備に重点を置いた市政を行った。1962年に、無投票再選を果たす。1966年に、大宜味村の元村長であった大工廻朝盛を破り、3選を果たした。大山は戦後沖縄で初の3選された自治体首長であった。
※この「コザ市長時代」の解説は、「大山朝常」の解説の一部です。
「コザ市長時代」を含む「大山朝常」の記事については、「大山朝常」の概要を参照ください。
- コザ市長時代のページへのリンク