ゲイナイトのスタンダードの確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 19:03 UTC 版)
「日本のゲイ文化」の記事における「ゲイナイトのスタンダードの確立」の解説
東京ではGOLDの他にも、西麻布「イエロー」、芝浦「オー・バー」、スポーツジム系野郎ノリを生んだ日比谷「ラジオシティ」、歌舞伎町「CODE」、同「LIQUIDROOM」などでも大箱ゲイナイトは開催され、2丁目界隈を超えて広がりをみせた。中でも日比谷「ラジオシティ」で1993年〜1997年1月までの3年半、毎月500人超を動員してきたゲイ・オンリーパーティー「MEET NEAT MEAT」(その後も不定期開催)は、「ハントショット・ゲーム」(ボーイハント)という出会いイベントをメインテーマに設定し、DJ木村コウの歌モノ・ハウスで構成され、その後の日本のゲイナイトのスタンダードを確立した。二丁目には伝説的なゲイナイト向け常設クラブ「Delight」が1994年にオープンした(1997年閉店)。その他、「GAMOS」、「Arty Farty」、「ZIP」などの2丁目のゲイバー/クラブでもゲイナイトは開催されていった。大阪では堂山「EXPLOSION」、西心斎橋「NEO」と「ItoI」、曾根崎新地「KARMA」などで行われた。1990年代後半頃までには東京、大阪だけではなく、札幌、仙台、名古屋、京都、博多などでも開かれていた。 ゲイナイトはそれまで比較的少人数だったゲイの集まりを、一気に数百〜千人単位の規模に押し上げた。
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