ケネディ暗殺事件の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 04:27 UTC 版)
「ジョン・K・ラティマー」の記事における「ケネディ暗殺事件の調査」の解説
1972年、ケネディ家は、ケネディの検死で採取された証拠を調査する最初の民間専門家としてラティマーを選んだ。ラティマーは、ダラスのテキサス教科書倉庫からジョン・F・ケネディ大統領を射殺した狙撃手はリー・ハーヴェイ・オズワルドである可能性が高いことを証明するために、弾道などの研究を行った。ラティマーは、暗殺に使用されたのと同じ、イタリア・カルカノ(英語版)製の6.5×52mm(英語版)M91/38ボルトアクションライフルを使って、同じ射撃条件で8.3秒以内に狙い澄まして3発を撃つという、オズワルドの射撃のデモンストレーションを頻繁に行った。それによりラティマーは、オズワルドがそのような技量を発揮できたことを証明するつもりだった。ラティマーは、1980代後半になってもこの実演を続けていた。ラティマーはオズワルドの海兵隊における射撃記録を所有しており、これにより、オズワルドが優れた射撃能力を持っていたことが示されていると述べている。 1980年、ラティマーは"Kennedy and Lincoln: Medical & Ballistic Comparisons of Their Assassinations"(ケネディとリンカーン: その暗殺の医学的・弾道学的比較)を執筆した。この本では、リンカーンとケネディの暗殺事件を比較し、ウォーレン委員会の調査結果を支持した。 著書の中でラティマーは、死亡時のケネディ大統領が、腕が肘を伸ばして腕を内側に折りたたんだ「ソーバーン・ポジション」を示したのは、背骨に受けた銃創に対する神経学的反応であると説いた。
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