グリニッジ・ヴィレッジ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 02:52 UTC 版)
「ジューナ・バーンズ」の記事における「グリニッジ・ヴィレッジ時代」の解説
1915年、バーンズは家族と同居していたフラットからグリニッジ・ヴィレッジのアパートに移り、そこで流行していた芸術家や作家のボヘミアン共同体に入った。その社交サークルの中にはエドマンド・ウィルソン、ベレニス・アボットやダダイストの画家で詩人のエルザ・フォン・フライターク=ロリングホーフェンがいて、バーンズはその伝記を書こうとしたが、完成はしなかった。彼女は、ワシントン・スクェアの屋根裏部屋で雑誌や小冊子を出版していた起業家でプロモーターでもあるグイードー・ブルーノ(1942年没)とも出会った。ブルーノは平気で悪事を働くという評判であり、儲けるためにグリニッジ・ヴィレッジの住人を食い物にしていると責められることがしばしばだった。彼の部屋は近隣のボヘミアン・アーチストたちのギャラリーを兼ね、詩の朗読会やレクチャーを開き、旅行客から入場料をとっていた。しかし彼は検閲には強く反対し、1915年11月にバーンズの「リズム&素描」集『嫌味な女たちの書』を進んで出版して刑事訴追される危険を冒したThe Book of Repulsive Women(英文)。驚いたことに、この本の最初の詩は女性同士のセックスを描いていたにもかかわらず、法律的な異議申し立てはなされなかった。その一節は今では明白に思えるが、当時のアメリカ文化において、レズビアンは事実上、目に見えない存在であったため、「ニューヨーク悪徳弾圧協会」がそのイメージを理解し得なかった可能性がある。ほかのものは世間ずれしていなかったし、ブルーノは、本の評判につけこんで、本の価格を15セントから50セントに引き上げてその差額をポケットに入れることができた。20年後、バーンズは、『夜の森』の登場人物フェリックス・フォルクバインのモデルの一人にブルーノを使い、その貴族気取りと称号保有者や重要人物であればだれの前でもお辞儀をする習慣を戯画化した。
※この「グリニッジ・ヴィレッジ時代」の解説は、「ジューナ・バーンズ」の解説の一部です。
「グリニッジ・ヴィレッジ時代」を含む「ジューナ・バーンズ」の記事については、「ジューナ・バーンズ」の概要を参照ください。
- グリニッジ・ヴィレッジ時代のページへのリンク